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Milkau Oberer Teil der Stele mit dem Text von Hammurapis Gesetzescode 369-2.jpg ハンムラビ(Hammurabi あるいは ハンムラピ Hammu-rapi)は紀元前18世紀にメソポタミア地方に統一国家を建設したアムル人出身の初代バビロニア王である。ハンムラビ法典の整備で知られる。名の意味は、セム語派諸言語間の比較から hammu が「父方のおじ」を意味する可能性が高いこと、アムル人の間で親族関係を示す語で呼ばれる神が多かったことから、「(父方の)おじさん(と呼ばれる神)は偉大である」とする説が、現在のところ有力である。

ハンムラビは都市国家バビロンに樹立されたバビロン第一王朝の第6代目の王であった。当初はイシンラルサマリといった当時メソポタミアに覇を競った大国間に挟まれた弱小国の王であったが、次第に頭角を現してメソポタミア地方を統一し、シュメール及びアッカドの地の王の地位を獲得した。都市国家バビロンがシュメール及びアッカドの地を統一したことにより、この地域はバビロニアとも呼ばれるようになった。ハンムラビはこの領域国家として統一されたバビロニア王国最初の王となり、死ぬまで王として統治した。その治世は、紀元前1792年から死の年である紀元前1750年まで、あるいは年代測定法の違いにより紀元前1728年から紀元前1686年までにわたる。

ハンムラビは当初、南方の諸都市を征服してバビロンを拡張し、後にメソポタミアのほとんどの地域を征服するに至った。

ハンムラビは「ハンムラビ法典」と呼ばれる法典によって都市文明を確立したことで有名である。ハンムラビ法典は被害者や加害者の身分によって刑罰に違いを付け、身体刑を多く科すため、現代の視点からは残酷であると見られる。しかし成文法を作るだけでなく、法を体系化しようとしたことは、文明の発達にとって重要な一歩であるとみなされる。聖書にある、「目には目を歯には歯を」という言葉はハンムラビ法典に遡ることができる同害復讐法体系との関連が指摘されている。ハンムラビはこのほかにも、灌漑手段改良への援助を行うなど、バビロンの改良に努めた。

ハンムラビは生涯王として統治した。その死後、バビロン第一王朝第11代の王サムスディタナの時代にムルシリ1世 (Mursilis) に率いられた ヒッタイト人の急襲に遭い、バビロニア王国は壊滅した。すぐに、アグムカクリネ (Agumkakrine) 王に率いられた カッシート人 (Kassites) が奪回した。多くの都市の反抗に遭いながらも、カッシート人は400年にわたって支配を続け、ハンムラビ法典を尊重した。

学者の中には、ハンムラビと旧約聖書の『創世記』に登場するバビロンの王ニムロデを結びつけるものもいる。ハンムラビの名は「偉大なるハム」とも解釈可能である。ニムロデはノアの三男、ハムの孫にあたり、バベルの塔の建設者とされる。

古代メソポタミア | バビロニアの君主

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