ハザール(Khazar)は、7世紀から10世紀にかけてカスピ海の北で栄えた遊牧国家。支配者層はテュルク系と推測されている。交易活動を通じて繁栄した。日本語では「ハザル」あるいは「カザール」と表記されることもある。
ハザルが衰える一方でブルガルが勢力を回復させ、首長アルミシュはアッバース朝に接近してハザルからの自立を図った。この際のカリフ使節の記録が『ヴォルガ・ブルガール紀行』に残されている。
今日ユダヤ教徒の大半を占めるアシュケナジムは、このハザール系ユダヤ教徒の子孫ではないかという仮説が存在する。この説は、アシュケナジム出身の小説家であるアーサー・ケストラーが1976年に刊行した著書The Thirteenth Tribe(邦訳『ユダヤ人とは誰か』)によって広く知られるようになった。しかしながらこの説は、ケストラーに先立って、オクタヴィアン・ゴガなど東欧の反ユダヤ主義者がしばしば唱えていた経緯もある。今日なお、この仮説は反シオニストによるプロパガンダの材料として政治利用されると指摘されている。
しかしながら、ハザールのユダヤ教受容は、遊牧民である支配者層に留まり、それほどユダヤ教徒人口が多かったわけではないと想定されること、ハザール国家の都市民はイスラム教徒が圧倒的に多かったと考えられること、さらにハザール国家の解体・滅亡とは決して「ハザール国民」がその土地から消滅し、新住民に置き換わったことを意味するのではなく、ハザール国家の構成員たる支配層を含む遊牧民諸集団や都市民が、新たにこの地で権力を握ったブルガール国家などの構成員として新たな遊牧権力の下に再編成されたことを意味することなどから、この見解については歴史学者の間では否定的な意見が多い。ハザールのユダヤ教徒遺民が東欧の諸都市におけるユダヤ人社会の成立に与っていたとしても、その一部分に過ぎず、あくまで主体は、父祖からのユダヤ人と異邦人からの改宗者との双方を含む、旧ローマ帝国領内から移住してきたユダヤ教徒たちであったと考えられている。
また近年、遺伝子学の見地から、アシュケナジムの遺伝子パターンがトルコ民族よりセム系民族のそれと似通っていることも明らかにされており、この研究結果は、アシュケナジムをしてトルコ系ハザール人の子孫に擬する説とは真っ向から対立している。
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