ドロシー・L.・セイヤーズ (Dorothy Leigh Sayers、1893年6月13日 - 1957年12月17日) は、オックスフォードに生まれウィザムに没した英国の作家、翻訳家、現代/古典言語学者、キリスト教人道主義者である。ディテクションクラブ三代会長を務めた。
ドロシー・L.・セイヤーズ (常にこのL.にこだわった)が最も知られているのは、恐らく「ピーター・ウィムジイ卿」ものの推理小説を通してであろう。ウィムジイはセイヤーズのシリーズ探偵で、英国の貴族である。アガサ・クリスティと並ぶ英国女性推理小説家であるが、黄金期の作家としては日本では比較的紹介が遅かった。早川書房と東京創元社が訳本を出版している。特に後者は創元推理文庫でピーター卿もの長篇を数多く出版(全作出版予定。2005年12月の段階で第1作から第10作まで刊行済み)、日本でのセイヤーズ受容に大きく貢献した。この項目での固有名詞は、主に創元推理文庫版(浅羽莢子訳)に従う。
その頃セイヤーズの両親は70代になっており、娘が未婚の母となることが老親たちを煩わずのを避けるため、セイヤーズは友人・家族の前から姿を消すことを選択した。そのままBenson社で働き続け、妊娠後期に入った時点で疲労を訴えて長期休暇をもらった。偽名を使って一人で産院 (mother's hospital) に行き、男の子 John Anthony を産み落とした。1924年1月3日、ハンプシャーの Southbourne でのことである。セイヤーズはそこに3週間留まり、赤ん坊の面倒を見た。
思いもかけない子供ができ、このままでは生活も仕事もおぼつかないので、セイヤーズは息子を従姉妹の Ivy Shrimpton に預けることにした。従姉妹に手紙で「私のとある友人」の悲惨な物語なるものを聞かせ、子供を引き受けてもらえないかと頼み込んだ。彼女の了解をとりつけると、また手紙を書いた。「親展。他言無用のこと。赤ん坊の詳細について。」 ("Strictly Confidential. Particulars about Baby.") で始まるこの手紙の中で、セイヤーズは子供の実の親が何者かを暴露し、彼女に沈黙を誓わせている。
二年後、もうその頃にはセイヤーズは推理小説を書き始めていたのだが、彼女は Oswald Arthur "Mac" Fleming と結婚した。彼は Atherton Fleming の名前で記事を書くプロのジャーナリストだった。夫婦は後に John を養子としたが、決して同じ屋根の下には住まわせなかったし、セイヤーズは彼が自分のお腹を痛めた実の息子だと公式に認めることもなかった。当時の歴史的慣習を考えれば、これは驚くにはあたらない。John Anthony Fleming は1984年まで生き、60歳で死んだ。
「あっ、しまった」(浅羽莢子訳。原文では"Damn!")と毒づきながら推理小説界に飛び込んできたピーター・ウィムジイ卿は、11冊の長編と2冊の短編集に登場し読者に親しまれた。他に未完の未発表作品が一つある。あるときセイヤーズはピーター卿は Fred Astaire と Bertie Wooster とのミックスだと語ったことがあるが、その傾向は最初の5つの長編で顕著である。しかし、ピーター卿の変化を追ってみれば、彼が一人の人格としてセイヤーズの心の中に息づいていたことが明らかであろう。
推理小説の創作に疲れ果てたとき、セイヤーズは推理作家にしてアマチュア探偵のハリエット・ヴェインを傑作『毒を食らわば』 Strong Poison に参加させた。ヴェインはオックスフォードを卒業し学位を得た、当時としてはかなり稀な高学歴の女性であった。卒後大学を去り、推理小説作家として売れっ子になっていたが、愛人を毒殺した廉で逮捕され訴えられた(『毒を…』)。ヴェインに一目惚れしたウィムジィは冤罪であると確信、驚くべき真相を暴き、絞首刑からヴェインを救う。以降、ことあるごとに求婚を繰り返すが、ヴェインは結婚に踏み切れない。『死体を…』ではヴェインは有能なワトソン役ないしは推理合戦の相手として活躍し、『学寮祭…』では母校で起きた不可解/不愉快な事件を捜査する。事件はウィムジィの演繹的推理によって解決を見るが、その過程でヴェインは襲撃され、一方ウィムジィが普段見せないでいる深い心の襞を知ることになる。
一再ならずセイヤーズは、「ハスキーヴォイスで黒い目の」ハリエットを生み出したのはピーター卿を華燭の儀と共に退場させるためだったと言っている。しかしながら、(ピーター卿とハリエットが最終的に結ばれることになるピーター卿もの長編第10作の)『学寮祭の夜』 Gaudy Night を書く過程で、セイヤーズはこれまでになかった程この二人に命を吹き込むことに成功した。その結果セイヤーズ曰く「ピーター卿の次のステージが見えた」のである。
セイヤーズには葡萄酒売りのモンターニュ・エッグ (Montague Egg) が謎を解く短編のシリーズもある。
セイヤーズの宗教作品が大変よく英国国教会の立場を表していたので、カンタベリー大僧正は1943年に神学の名誉博士号を授与しようとしたが、セイヤーズはそれを丁重に断った。しかし1950年にはDurham大学から文学の名誉博士号を受けた。
彼女の随筆 The Lost Tools of Learning はアメリカ合衆国のいくつかの学校で古典教育 (classical education) の教材として用いられたことがある。
セイヤーズはC・S・ルイスの及びそのサークルをよく知っていた。時にはソクラテス・クラブ (Socratic Club) でルイスと一緒になることもあった。ルイスは、自分は復活祭には必ず The Man Born to Be King を読むが、推理小説はどうも楽しみかねると言っていた。しかしJ・R・R・トールキンはウィムジイものを幾つか読んだことがあり、後期作品(『学寮祭の夜』など)に冷笑を浴びせかけた。
『猫の舌に釘をうて』で有名な都筑道夫は、『忙しい蜜月旅行』(ハヤカワポケットミステリ)の解説の中で、セイヤーズが貴族探偵を生み出した動機として、作家自身が金に困っていたので、せめて探偵役には良い暮しをさせたいと考えたと説明している。ウィムジィの精神的な弱さは、ハリエットとの関係にも大きな影響を与え、小説に奥行きをもたらすことになった。
Gaylord LarsenのDorothy and Agatha 0-451-40314-2の中では、セイヤーズがアガサ・クリスティと共演する。これは架空の殺人事件を描いた推理小説で、自分のダイニングルームで男が殺され、セイヤーズはその謎をとかなければならなくなる。
Jill Paton Walshはウィムジイ+ハリエットものの二作を書いた。一つはセイヤーズの未完の作品を元にしたThrones, Dominations、一つは"Wimsey Papers"を元にしたA Presumption of Deathである。"Wimsey Papers"はいろいろなウィムジイさんからの手紙というふれこみで第二次大戦中にThe Spectatorが出版したものである。
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