トヨタF1 (TOYOTA F1) は、2002年からF1に参戦しているトヨタ自動車によるF1レーシングコンストラクター。正式名称はパナソニック・トヨタ・レーシング (Panasonic TOYOTA Racing) 。
日本におけるR&Dの拠点はトヨタ自動車の東富士研究所である。他に、フランスのマルセイユ近郊のル=キャステレにあるポール・リカール・サーキットをテストコースとして所有している。
2000年にはヤマハ発動機と資本提携および高回転エンジン開発に関する技術提携を行い、ル・マン24時間で好成績を収めたTS020をテストカーとしてTMGとポール・リカールでの研究開発が始められた。当初は2001年より参戦を開始する予定だったが、F1のエンジンレギュレーション変更などの関係で準備が遅れ、結局2002年より参戦を開始。ドライバーにはアラン・マクニッシュとミカ・サロが起用されたが、アラン・マクニッシュは1999年ル・マン24時間にトヨタチームで参戦したドライバーであり、またミカ・サロは日本語でのコミュニケーション能力があるなど、このドライバー・ラインナップはマシン開発を重視したものであった。
2001年には、TS020を手がけたアンドレ・デ・コルタンツ設計によるTF101を使い、ポール・リカールを中心にテストを行っていた。< しかし、デ・コルタンツ自身が最近のF1の設計に関わっていないために車のデザインが古く奇抜であったため、彼を解雇し、本格参戦用のマシン開発の責任者として、幾多のチームを渡り歩いたグスタフ・ブルナーを雇い入れた。
デビューとなった2002年オーストラリアGPで6位入賞を果たし、最初の目標をクリアした。 その後もブラジルGPで6位入賞したが、結局この2回の入賞に終わった。
翌年のマシンであるTF103は、フェラーリの前年マシン、F2002をコピーしたという疑惑があったものの、実際に走り出すと月とスッポンのごとく、さほどの成績を残せなかった。
2002年の参戦以来、F1コンストラクターの中でも上位につけるほどの費用を投じていたとされるが、2004年シーズンまでは不本意な成績しか残すことが出来なかった。
2005年シーズンは、第2戦マレーシアGPでヤルノ・トゥルーリがチーム史上初の表彰台(2位)を獲得すると、その後もラルフ・シューマッハと2人でポールポジション2回、表彰台計5回をはじめとしてコンスタントにポイントを獲得し、ルノー、マクラーレン、フェラーリに次ぐ、コンストラクターズランキング4位の成績を収めた。
2005年はジョーダン、2006年はジョーダンを買収したMF1レーシングへのエンジン供給も行っている。
2006年からはタイヤをミシュランからブリヂストンにスイッチすることになったが、1,2戦ではタイヤの性能をうまく発揮させることができず苦戦を強いられている。しかし、第3戦オーストラリアGPでラルフが3位表彰台を獲得した。また、4月にテクニカルディレクターのマイク・ガスコインが技術的な意見の相違からチームを離脱した。2006年10月末までは従業員としてトヨタに残る。
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