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チェーカー(チェカ、ロシア語:ЧК)は、レーニンによりソ連で始めて設立された秘密警察である。正式にはヴェーチェーカー(ВЧК - Всероссийская чрезвычайная комиссия по борьбе с контрреволюцией и саботажем…反革命・サボタージュ取締り全ロシア非常委員会)といい、10月革命直後の1917年12月20日に人民委員会議(実質内閣)直属の機関として設立された。議長はフェリックス・エドモンドヴィッチ・ジェルジンスキー。チェーカー要員は、チェキストと呼ばれた(西側は、チェーカーに限らずKGBなどの構成員を侮蔑的にこう呼んだ)。

1917年の10月革命翌日以降、官僚たちによるゼネストが広がりを見せていた。これに対してボリシェヴィキは恐怖し、ストライキの拡大を食い止める必要に迫られた。12月に入ると、ボリシェヴィキは10月革命前夜に設立した軍事革命委員会の解体を決めた(権力の混乱防止のため)。それに伴い、いかにこの危機を乗り切るかが焦点となった。

レーニンはフランス革命時の革命裁判所検事であるアントワーヌ・フーキエ=タンヴィル(Antoine Quentin Fouquier-Tinville)のような人物が必要だと感じていた。12月2日に「断固たるプロレタリア的ジャコバン」に決まり、12月6日には反ゼネストのための特別委員会設立を任されたフェリックス・ジェルジンスキー(軍事革命委員会のトップだった)に、レーニンは「サボタージュと反革命と闘うための『例外的な手段』」を取るようメモを送った。

そして12月20日、ジェルジンスキーにより特別委員会設立の草案が人民委員会議に提出され、以下のように決定された(メンバーの1人マルティン・ラツィス(Martin Latsis)が1922年2月10日イズベスチヤで公開)。

同委員会を反革命運動・怠業取締人民委員会議付属全露非常委員会と命名し、ここにそれを承認する。委員会の任務は:
  1. 誰が引き起こそうとも、全ロシアのすべての反革命運動と怠業の企てと行動を監視し、これを撲滅すること。
  2. 全ての怠業者と反革命分子を革命裁判にかけ、またその撲滅対策を作成すること。
  3. 委員会は犯罪阻止に必要な限りの予備審理のみを行う。委員会は以下の三部に分かれる:
    1. 情報部
    2. 組織部(全ロシアの反革命分子撲滅闘争の組織のため)と支局部
    3. 取締部
委員会は明日正式に発足する。それまでは軍事革命委員会清算委員会が活動する。委員会は印刷物、怠業(サボタージュ)その他、右翼エスエル、怠業者(サボタージュ参加者)、ストライキ参加者に注意する。必要措置として、押収、強制立ち退き、食糧配給券の支給停止、人民の敵のリスト公表などが講じられる。
全露非常委員会参与会の議長とメンバーは、人民委員会議により任命される。

10月革命後に反ボリシェヴィキの西側諸国の干渉により起こった内戦(干渉戦争)勃発後、チェーカーはレーニンにより、裁判所の決定なしに、即座に容疑者の逮捕、投獄、処刑などを行う権限を与えられた。1919年5月15日、労農国防会議の決定により、チェキストには最上級の配給食糧である赤軍軍人配給食が割り当てられるようになった。このように、チェキストには最大の恩典が与えられ、レーニンは常にチェーカーを擁護していた。「よきコミュニストはよきチェキストでもある」という発言は有名である。

内戦終結後の1922年2月8日、チェーカーはGPU(ソヴィエト人民委員会付属国家政治局)と改名し、内務人民委員部(NKVD)の直轄となる。1954年、再独立して国家保安委員会(KGB)となる。

  • 関連文献
ソルジェニーツィン『収容所群島』

ロシア革命

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