チェコ人は現在のチェコを中心に居住しているスラヴ系民族。西スラヴ語系のチェコ語話者である。本来であればチェック人という表記の方が正しい。(この理由についてはチェコの国名の項を参照されたい)。日本の世界史の教科書では突然チェック人だったものが何の説明もなくチェコ人になっているため全く別個の存在であると誤解されやすい。
しかしその権威とは裏腹にチェコ人の地位は転落して行った。14世紀以降は、ドイツ人の支配下に置かれ、これに対するチェコ人たちの民族意識は徐々に高まっていった。 15世紀と17世紀の、支配層ドイツ人に対する、プラハ窓外投擲事件に始まる宗教戦争はその典型とも言える。二度目の事件は、ヨーロッパを巻き込む最大の宗教戦争、三十年戦争を招来するが、チェコでは、支配者ハプスブルク家に屈服し、従属を迫られた。ハプスブルク家の権威が低下した19世紀中庸に、オーストリア・ハンガリー帝国という事実上の連邦国家が成立するが、チェコ人の地位は低いままだった。また、ハプスブルク家の皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の妻がチェコ人であったにも関わらず、皇族の地位を得られなかったのもその証左である。しかしチェコ人は連邦と言う枠の中で自治を拡大する以外の道は無く、帝国末期には、オーストリア・ハンガリー帝国の存続に期待をかけていたと言われている。第一次世界大戦後に帝国は分裂解体したものの、直後に東方のスロヴァキアと合同を組んだチェコスロヴァキアが誕生したことは、上記の一因とも言える。
21世紀現在、チェコとスロヴァキアは分離独立し、チェコ人はほぼ単一の民族を構成しているが、民族意識の強さとは裏腹に、その欧州での特質さゆえに、チェコ人としての纏まり以上に、同人種、あるいは国際的な統合を求める傾向が強いと言える。
なお広義のチェコ人としては、モラヴィア人を含んでいる。モラヴィア人は、9世紀-10世紀に大モラヴィア王国を形成したスラヴ系民族であるが、元々チェック人と同一と言うわけではなかった。しかしながら大モラヴィア王国が滅んだ後は、ボヘミアのチェック人と共に従属を強いられ、その過程で、大勢を占めるチェック人に同化されたものと思われる。現代のモラヴィア語は、チェコ語とあまり変わらず方言の扱いとなっている。
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