ジャンプ台と呼ばれる専用の急傾斜面を滑り降りて(助走)、そのまま角度の付いた踏み切り台から空中に飛び出し、専用のスキー板と体を使ってバランスをとり、滑空する。その飛距離と姿勢の美しさ、「美しく、遠くへ跳ぶ」ことを競う競技。
この競技を行う選手をジャンパーと呼ぶ。
国際スキー連盟主催の世界選手権が二年に一度、冬季オリンピックの前年と翌年に行われる。また、毎年、世界各国を転戦してワールドカップが開催されている。
短期に集中して行われるシリーズながら、長年4連勝で総合優勝するジャンパーはいなかった(笠谷幸生は1971-72シーズンのジャンプ週間を3連勝しながら、4戦目を札幌オリンピックへの調整に充てる国内大会出場のため欠場している。また船木和喜も総合優勝した年は3連勝しながら4戦目は8位に沈んでいる)。また、冬季五輪開催シーズンのジャンプ週間を制した者は必ずそのシーズンの五輪の個人種目で金メダルを獲得する、というジンクスも1984年のサラエボオリンピックから長く続いた。2001-2002年シーズンのジャンプ週間では、史上初めて前者のジンクスが破られ、ドイツのスヴェン・ハンナバルトが4連勝を果たした。しかしその年のソルトレークシティオリンピックではノーマルヒルで銀メダル、ラージヒルで4位と後者のジンクスも破れてしまう。が、団体戦ではドイツがフィンランドをわずか0.1点差で制し、金メダルの獲得はかろうじて継続された。
2005-2006年シーズンのジャンプ週間では、史上初めてヤクブ・ヤンダ(チェコ)とヤンネ・アホネン(フィンランド)が同点で総合優勝を分け合った。しかし同シーズンのトリノオリンピックでは両者共に個人・団体とも金メダルの獲得はならなかった。
(本来、K点は「これ以上飛ぶと危険」という目安であったが、競技レベルの向上に伴い「ジャンプ台の建築基準点」という意味に変化した)
1.は、着地地点での姿勢により、スキーの中間点(一足ランディング:一般に得点が低く不利)、ないし、両足の中間(理想は、テレマーク姿勢:後述)を、それぞれの着地距離地点を担当する、計測担当者の目測により割り出される。飛距離が予測を上回って観測者がいない地点に着地した場合は、実際に計測する。K点の点数を基準に、それぞれ加減された点数を加算する。
2.と3.は、実際に5人の飛形審判員によって行われる。一人の持ち点は20点満点で、公正を期するため、5人中最高最低1名ずつの得点を除き、中間3名の得点合計が加算される。2は空中静止(後述)、3はテレマーク姿勢が理想とされる。それぞれの基準は、歴史上、何度か変更された。
通常は、2本跳んだ後の、それぞれ1~3の合計で順位が競われるが、天候や飛距離の変化により、1本目のトライアルが終了後、2本目の前にスタート地点は変更される。
ワールドカップ形式は、1本目を終えた時点で、飛型点・飛距離点を合計し、上位30人に絞り、残った者から低い順に2本目を跳ぶため、1本目が最高得点した者が、最終となる。現在は、多くの大会でこの方式を用いる。
スキーも幅が広く、長いスキーを使用し、揚力を得て落下を遅らせる役割を持つ。スキーには、その時代で7~9本以上の溝があり、直進方向に適し、スピードを得られる工夫がなされ、踵が上がるようになっている。また板が大きく長いにもかかわらず、非常に軽量である。
毎年各メーカーは規定の範囲で細かな工夫を重ねているが、過去にはスキーの先端が通常の三角形でなく四角くトップの角度を低くした、いわばカモノハシの口のような板や、先端に穴をいくつも開けて空気抵抗を低くしようとした板など、一目見ただけでも判るようなユニークな板もあった。
ジャンプ板を製造できる技術を持ったメーカーは限られており、2005年現在ロシニョール、ATOMIC、ELAN、フィッシャーでほぼ占められている。他にはBLIZZARDやGERMINAも。過去にはクナイスル、エルバッハ等も供給を行っていた。
度々スキーの長さについては規則が改定され、現在は身長とBMIを元に長さを算出する形式が用いられている。よって、身長が174cm以下の選手の多い日本人ジャンパー(選手)には、不利となっている。特に岡部孝信選手は、改訂により、自身が中学生当時に使用していた長さの板を使うことになってしまい、長野五輪以降不振が続いた。原田雅彦選手は体重の減少により、使用していた板の長さが規定を越えてしまい、トリノオリンピックノーマルヒル予選で失格となっている。
複数の日本人選手が、世界的に活躍したシーズンの終了と共に、必ずといっていいほど、日本人選手がより不利になるような改定がなされる事が多いため、日本人差別を主張する関係者もいるが、真偽は不明。ただし、アダム・マリシュ選手など、背の低いジャンパーがルール改訂後に大躍進した例もあり、「日本人選手に不利なルール」といった言い訳が通用しないようになってきており、スキー板の長さの規制が改定された後の日本のジャンプ界の対応が世界に比べ大幅に遅れたのが低迷の原因である、と意見する者がいることも事実である。
一方、長い間低迷していた選手や、ピークを過ぎたと思われて半ば忘れ去られていた選手が突然トップクラスの戦いをすることがあるのもこの競技の特徴で、過去にはディータ・トーマ、イエンス・バイスフロク(ともにドイツ)日本では2004年の東輝、2005~06にかけての岡部など、俄に実力が復活する選手がおり、本人のたゆまぬ努力はもちろんであるが、頻繁に変更される規定などにうまく適合できるかどうかに鍵があるものと思われる。
札幌市においては、ノーマルヒルが「宮の森ジャンプ競技場」、ラージヒルは「大倉山ジャンプ競技場」である。
シャンツェごとに形状や条件が異なるために、また、同一の会場でも大会毎、一試合内でも各トライアル毎に、降雪や風向きといった天候条件が異なり、また、気温や選手の使用状況による、刻一刻の助走斜面の雪質の変化など、共通の記録が設定できない。そのため、それぞれの競技場での「バッケンレコード(最長不倒記録)」といった形で、最高記録が認定される。
ヒルサイズWの決定は、その地点のランディングバーンの角度によって決定する。ノーマルヒルは角度31度、ラージヒルは角度32度、の地点での距離をヒルサイズと称する。
20世紀後半までは、気をつけの姿勢でスキーを揃え、横から見ると、胸から上とスキーが平行になるのが理想とされていた。(札幌冬季オリンピックで、笠谷幸雄他、日本人選手が金銀銅3メダルを独占した際には、この飛型であった。)
1976年頃、東ドイツのアッシェンバッハ選手がアプローチを滑走する際、中腰で両手を平行に後ろへ揃えるスタイルを始め、当初アッシェンバッハスタイルと言われたが現在ではバックハンドスタイルと言われスタンダードな姿勢となる。それまではしゃがんで手を前にして握るような姿勢が一般的であった。これはこれが一番空気抵抗が少なく、速度が出ると思われたからである。
20世紀終盤にはV字飛行をスウェーデンのボークレブ選手が始めた。V字飛行はそれまでの板を揃えて飛ぶ飛型よりも前面に風を多く捉えて飛距離を稼ぐことができたが、当初は飛型点で大幅な減点対象になり上位にいくには他を大きく引き離す飛距離を飛ばないといけなかったが、他の選手も次第に取り入れるようになり、規定がその後変更され減点対象からは除かれた。クラシックスタイルからV字への転向には日本は早く対応でき、逆にフィンランドなどの強豪国ではV字飛行転向に乗り遅れ、一時低迷することとなった。
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