ジェームズ・ネイスミス(James Naismith、1861年11月6日-1939年11月28日)は、19世紀から20世紀にかけて活躍したカナダ出身の体育教育者。スポーツを通しての青年育成と社会貢献に生涯取り組んだ。バスケットボールの考案者として有名である。
1883年にケベック州モントリオールのマギル大学に入学する。1887年に哲学とヘブライ語で学士号取得。大学卒業後はマギル大関連施設の神学校に進み、同大学の体育講師の職に就く。大学時代からラグビーやラクロスなどのスポーツを熱心にプレーしていた。
この頃にはモントリオールにあったYMCAに通っており、1891年に米国マサチューセッツ州YMCAの訓練校(現在のスプリングフィールド大学)で学生として、また非常勤の体育講師として研究を続ける機会を得る。
学生らが提出した様々な案は、ラグビーやサッカーのように身体接触を含み、屋内には不向きのものが多かった。一方でギューリックはネイスミスが考案した競技に興味を持ち、2週間の期間を与えさらに詳細を詰めるようネイスミスに指示を出した。
ネイスミスが考え出した競技は、ボールを持ったまま走ってはならない、身体接触・衝突をしてはならない、競技者の頭上に水平のゴールを置く、競技者はいつでもボールを奪い、得点できる、という基本的なルールを持っていた。高い位置に水平のゴールを置くことで、得点するには力よりも正確さが必要になり、怪我の機会を少なくできると考えてのことだった。
この新しい競技は、ラグビー、サッカー、ラクロスがヒントになっているほか、ネイスミスが少年時代に近所の子供たちとした遊びの要素も盛り込まれていた。この遊びは物を置いてそれに石をぶつけるというものだった。
1891年12月、授業でこの競技を初めて行う時、たまたま手に入れた桃の籠を体育館内のバルコニーの下に据え付けてゴールとし、サッカーボールを使って1チーム9人で行われた。競技は学生の案により「バスケットボール」と名づけられた。
翌1892年、ネイスミスにより13の公式ルールが付け加えられ、バスケットボールは全米のYMCAで競技されるようになった。またスプリングフィールドのYMCA訓練校には留学生もおり、外国にも間もなく広まった。
1936年のベルリンオリンピックで、バスケットボールの最初の試合が開始される折、ネイスミスは始球式に参加している。
1939年11月に脳内出血を起こし、その9日後の11月28日に心臓発作で逝去した。78歳だった。
その10年後の1959年から、選手や監督などバスケットボールに貢献した人物が初めて殿堂に入れられるようになった。この年、競技の創始者であるネイスミスは「貢献者」の部門で殿堂入りしている。
1969年から、大学のバスケットボール界で最も活躍した選手に対して「ネイスミス賞」が授与されるようになった。
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