サラブレッド(Thoroughbred)は、18世紀にイギリスでアラブ馬や在来のハンター等から競走用に品種改良された軽種馬である。現在も、競馬で勝つことのみを目的とし日々交配と淘汰とが繰り返されており、人の創り出した最高の芸術品とも呼ばれている。騎乗、つまり50数キログラムのおもりを背負った状態において、最大70km/h(瞬間では~80km/h)の速度で走ることができる。
血統のよい馬や優秀な成績を残した馬は億単位の価格で取引されることもある。主な生産国はアメリカ、オーストラリア、アイルランド、日本等であり、世界では毎年11万頭ほどが生産されている。競馬以外では乗馬目的にも使われる。クォーターホースやスタンダードブレッド、セルフランセ等多くの乗用馬の基ともなった。語源はThorough(徹底的に) + bred(改良された品種)より。また、純血を意味するアラビア語の直訳という説もある。
Deep Impact(horse) 20051023 3.jpg(2005年10月23日、京都競馬場にて撮影、菊花賞)]]
現在の全てのサラブレッドは、父系(サイアーライン)を遡るとマッチェム、ヘロド、エクリプスのいずれかにたどりつく。これらを「三大始祖」という。また、上記それぞれの父系祖先である、ゴドルフィンアラビアン、バイアリーターク、 ダーレイアラビアンもほぼ同様の意味で三大始祖と呼ばれる。これはサイアーラインの各系統を父の父という様に父方へ遡ることで確かめられる。(→各系統のサイアーラインについては競走馬系統から参照されたい。)
アラブ種の血が混じった馬は、アラブ血量が25%以下ならば「サラブレッド系」、25%以上ならば「アングロアラブ」と呼ばれる。
| 国別生産頭数(2004年) | |
|---|---|
| アメリカ | 34070頭 |
| オーストラリア | 16940頭 |
| アイルランド | 10992頭 |
| 日本 | 8213頭 |
| アルゼンチン | 6572頭 |
| イギリス | 5429頭 |
| フランス | 4931頭 |
| ニュージーランド | 4509頭 |
| ブラジル | 3217頭 |
| カナダ | 2575頭 |
| イタリア | 2123頭 |
| チリ | 1754頭 |
| インド | 1427頭 |
| ウルグアイ | 1414頭 |
| トルコ | 1381頭 |
| 南アフリカ | 1306頭 |
| ドイツ | 1230頭 |
| 韓国 | 1068頭 |
サラブレッドの生産は繁殖牝馬に種付けすることから始まる。3月から6月までが馬の発情期間であり、その間に適当な種牡馬を種付けするのだが、種付け料は種牡馬によって違い、数千万円にも上る人気種牡馬から、事実上タダの馬もいる。馬産家の中には独自の配合理論を持っている人もいて、第17代ダービー伯爵はセントサイモンの血量が18.75%になるように配合することを好んだ。他にフェデリコ・テシオ、アーガー・ハーン3世もそれぞれ独自の理論で成功した。
種付け後無事に受胎(妊娠)し、その後流産などがなければ翌春には仔馬が誕生する。馬の妊娠期間は11ヶ月なので、4月に種付けすれば翌3月には生まれてくるのが普通である。仔馬は生後まもなく立ち上がり母馬から初乳をもらう。生後5,6ヶ月で離乳を迎え、春に生まれた仔馬は秋には仔分されることになり、親から引き離される。さらに2歳になるころから調教を受け人を乗せることを覚えさせられ、早いものでは2歳の春頃から競走馬としてデビューする。
競走馬として優秀な成績を残した馬や、血統の優れた馬は種牡馬、又は繁殖牝馬として牧場に戻ってくる者おり、日本では牡馬の約5%、牝馬の3割ほどが繁殖用に供用される。それ以外の馬は一部は研究用、誘導馬、警察の騎馬隊等に入り、残りの大半は乗馬か、乗馬に適していなければ処分される。ごく稀に馬主の厚意や、巡り合わせで功労馬として余生を送ることもあり、動物愛護精神の強いアメリカやイギリスではこの様に余生を送る馬も多い。
日本の生産規模は世界第4位を誇り、内9割程が北海道で生産されている。その中でも日高地方は特に重要である。次に多いのは青森県で、他、九州、茨城県等でも生産されている。
日本における生産頭数は1992年の時点では10000頭を超えていたが、その後の景気低迷とともに減少傾向にあり、2004年には8200頭まで落ち込んだ。
Highflyer.jpg]] StSimon.jpg]] そして1748年から1764年にかけて3頭の重要な馬が登場する。マッチェム、ヘロド、エクリプスである。この3頭はそれぞれ父系を伸ばしマッチェム系、ヘロド系、エクリプス系と呼ばれる3つの父系を形成した。1774年にはヘロドの仔にハイフライヤーが登場し、これらの名馬によってサラブレッドとしての資質が固定されていった。これらとほぼ時を同じくして1776年にはセントレジャーステークスが創設、1780年にエプソムダービーが創設され競走体系も整っていく。また、1773年にはレーシングカレンダー、そして1791年にはジェームズ・ウェザビーによってジェネラルスタッドブックが創刊。血統書が整備されたことで、最終的にサラブレッドが成立したといえるだろう。
一方、三大始祖に属さない父系は18世紀中頃までにはほぼ滅びてしまい、オルコックアラビアン系とダーシーズホワイトターク系が残るのみになった。この2つの父系はそれぞれの父系におけるエクリプス的存在といえるクラブ、ベイボルトンを出したことで何とか持ちこたえていたのである。しかし、1785年にオルコックアラビアン系のエイムウェルがエプソムダービーを制し一矢報いたものの、1810年頃アメリカに渡ったダーシーズホワイトタークの末裔ベイヤンキーとその仔マリアを最後に完全に滅亡、サラブレッドの父系が三大始祖に収束した。
また、体高(肩までの高さ)の変化からも、サラブレッド種が成立する過程が伺える、18世紀初頭には標準的な馬は150cm程度であったが、速力の増大に伴って体高もしだいに大型化していった。18世紀中頃に誕生したエクリプスは当時としては極めて大きな160cm弱の体高を誇っていた。こうしてアラブ種とサラブレッドの差異が次第にできていったのである。体高の増加はその後も止まらず、20世紀初頭には160cmを超える馬がよく見られるようになり、ファーラップ(約174cm)、セプター(牝馬、約168cm)等の大型馬が出現した。18,19世紀を通じて体高が大きな方が競走する上において有利だったのである。また見栄えのよい大型馬に人気が集中したともいえる。
ただ、その後はハイペリオン(約152cm、ポニーより少し大きいだけ)等の活躍により体高が逆に小さくなったといわれている。特にノーザンダンサー(154cn程度)出現以後は150cmそこそこの名馬が多数登場することとなった。
なお、サラブレッドという語嚢が使われ始めたのは1800年頃である。サラブレッドという単語が初めて登場した書籍をどれとするかには種々な説があり、それぞれ1761年の獣医の著作物、1796年の論文、1806年の雑誌等と伝えられており正確な時期については分かっていない。どちらにせよ、エクリプスやハイフライヤー等の名馬でさえ当時サラブレッドとして扱われることはなく、単にランニングホースなどとして扱われた。ジェネラルスタッドブックにおいては1836年に刊行された第4巻で「本書はサラブレッドの登録書である」の旨が明記された。
アメリカではイギリスの植民地であったことから18世紀の段階で既にサラブレッドが持ち込まれていた。初期にはアメリカンエクリプスなどの名馬が登場、その後レキシントンなどの名馬が誕生して19世紀後半にはイギリスクラシックを勝つ馬も現れた。1920-33年には禁酒法の影響で一時競馬が禁止される州も出たが、第二次世界大戦後イギリスの衰退に伴い競馬分野でも世界をリードしている。2005年のサラブレッド生産頭数は3万5千頭余りであり、これは全世界の3割に及ぶ。
日本では19世紀中頃に持ち込まれた。1877年には下総御料牧場の前身である取香種蓄場がサラブレッドを輸入した記録が残っている。
Englisches Vollblut | Thoroughbred Purasangre | Englannintäysiverinen | Koń pełnej krwi angielskiej