ゲルハルト・ベルガー(Gerhard Berger、1959年8月27日 - )は、オーストリア(ティロール州ヴェルグル Wörgl)出身の元F1ドライバー。英語表記では、ゲルハルト・バーガー。明るい性格で知られ、多くの友人を持つ。友人が少ないことで知られていたアイルトン・セナとも最大の親友であった。
通算10勝はF1の通史で見れば多い方の数字であるが、超一流のドライバーと比較すれば劣る。しかしその多くが記憶に残る状況で挙げられたことから、「記録よりも記憶に残るドライバー」としてよく名前が挙がる。また、ベルガーの通算210戦出走は2005年6月現在、リカルド・パトレーゼ、ミハエル・シューマッハについで歴代3位の記録である。
現在は妻帯者だが、現役時代は女好きのプレイボーイとしても知られ、女性のファンも多い。一方で、仕事では露骨に男尊女卑的な態度を取っていたことから、女性のF1関係者からの評判はすこぶる悪い。
1986年にはこれまたBMWエンジンを積むベネトンに移籍し、メキシコGPでタイヤ無交換作戦が当たり初優勝。これはベネトンチームにとってもF1における初優勝だった。この時ベネトンはピレリタイヤを履いていたが、他の多くのチームが使っていたグッドイヤータイヤはタイヤの磨耗が激しく複数回の交換を余儀なくされたため、他のドライバーがそのロスタイムで大きく遅れを取ったという点もベルガーには幸いした。
1987年にはフェラーリに移籍。結果的にエンツォ・フェラーリが自らスカウトした最後のドライバーとなった。この年は鈴鹿サーキットでの初開催となった日本GPで、低迷していたフェラーリに久々の優勝をプレゼントするなど2勝を挙げる。翌1988年はマクラーレン・ホンダがシーズン16戦15勝と圧倒的な強さを見せる中、マクラーレンが唯一落としたイタリアGPを制して一矢を報いる。
1989年も引き続きフェラーリに在籍するが、サンマリノGPのレース中、高速コーナーのタンブレロ(後にセナもこのコーナーでクラッシュし死亡する)においてトラブルのためクラッシュしマシンが炎上。しかしベルガーは大きな火傷を負いながらも奇跡的に生還した。この年はこれを含め、参戦した15戦中12回のリタイヤだったが、完走した3戦ではすべて表彰台にのぼり、ポルトガルGPでは優勝を果たした。
1990年にはアラン・プロストと入れ替わる形でマクラーレンに移籍。その後1992年までマクラーレンに在籍したが、成績面ではセナの影に隠れあまり目立たず。日本では当時のF1ブームの中で、そのいたずらっ子振りやプレイボーイ振りが大きくメディアに取り上げられ話題を振りまいた。1992年、第2期ホンダ最後のレースであるオーストラリアGPで優勝、再び記憶に残る勝利を挙げる。このときは終盤に燃費の関係で大きくペースを落とす羽目になり、ゴール時には2位のシューマッハがすぐ背後にまで迫っている状態であった。
1993年には4年ぶりにフェラーリに復帰するが特筆すべき成績は残せなかった。
翌1994年は悪夢の年となる。サンマリノGPの土曜日に同郷のローランド・ラッツェンバーガー、続いて決勝日ではかつての僚友セナが相次いでコース上のアクシデントにより事故死する惨事が立て続けに起きた。ベルガーにとっては、片や同胞、片や無二の親友を同時に失うという、まさに暗黒の週末となる。2週間後のモナコGPではやはり同郷のカール・ヴェンドリンガーがクラッシュにより重傷を負ってしまう。度重なるアクシデントによりF1界は大いに動揺したが、ベルガーはここで立ち上がり、それまで有名無実化していたドライバーによる組合GPDA(グランプリ・ドライバーズ・アソシエーション)を復活させ、その会長として、安全面についてFIAとの間にドライバー側からも積極的に話し合いを持つことを提唱、半ば立ちすくんでいたかに見えたF1界に毅然として今後の道筋を説き実践した。このようにこの年はむしろコース外での活動が人々の耳目を集め、コース上では目立つことも少なかったが、ドイツGPでは快走を見せ、低迷していたフェラーリに4年ぶりの優勝をもたらし、フェラーリを2度復活させた男として再び人々の記憶に刻まれることとなる(余談となるが、この年以降、2006年に至るまでフェラーリは毎年必ず1勝以上している。2006年現在、継続中)。
1995年のシーズン終了後、当時フェラーリでチームメイトだったジャン・アレジと二人一緒にベネトンに移籍。この時ベネトンからミハエル・シューマッハが入れ替わりでフェラーリに移籍したため「2対1の交換トレード」として話題になった。
ベネトンに移った1996年はドイツGPで最終盤までレースをリードするが、残り3周というところでエンジンブローが起き無念のリタイアとなる。この時、レースを制したのは3年前にやはり同じく残り3周というところでドイツGPを落としたことのあるデイモン・ヒルだった。結局この年はこのレースがハイライトとなる。
翌1997年、シーズン序盤から調子が上がらず、慢性蓄膿症のためカナダGPから3戦を欠場。この間、父親を飛行機の墜落事故で亡くすなどの不幸が重なったこともあり、引退がささやかれる中で復帰戦ドイツGPに臨んだ。このレースでベルガーはポールポジション、ファステストラップ、そして優勝を全て独占する完勝劇を演じてみせ、関係者とファンとを驚嘆と感動の渦に包んだ。結局、これが最後の優勝ということとなり、同年のシーズン終了間際にF1からの引退を発表。この際、「休養」と表現したのはいかにも彼らしかった。
ドライバー引退後は1999年からBMWのF1参戦にモータースポーツディレクターとして関わるが、2003年9月に家業である運送会社の再建を手伝うためとして同職を辞任。
2006年2月、自身が所有する運送会社の株式50%をレッドブル社に譲渡し、合弁会社を設立。これにあわせ、F1チームのスクーデリア・トロ・ロッソの株式50%をレッドブル社より取得し、同時に、レッドブル・レーシングも含め、レッドブルのF1活動全般についてのアドバイザーという形で、再びF1の世界に戻った。
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