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ガブリエル・ガルシア=マルケスGabriel José García Márquez1928年3月6日-)はコロンビアの作家。架空の都市マコンドを舞台にした作品を中心に魔術的リアリズムの旗手として数々の作家に多大な影響を与える。1982年ノーベル文学賞受賞。

百年の孤独」「コレラ時代の愛」が2002年、ノルウェイ・ブッククラブによって「世界傑作文学100」に選ばれる。

略歴


マルケスは1928年、コロンビアのカリブ海沿岸にある人口2000人ほどの寒村アラカタカに生まれる。事情により両親と離別し、祖父母の元に預けられて幼年期は三人の叔母と退役軍人の祖父ニコラス・コルテス、迷信や言い伝え、噂好きの祖母ランキリーナ・イグアラン・コテスと過ごした。のちに彼の代表作になる「百年の孤独」及び一連の小説は、彼の祖父母が語ってくれた戦争体験や近所の噂話、土地に伝わる神話や伝承に基づくところが大きい。特に「百年の孤独」は、彼が17歳の時に執筆を決意した作品であるため、祖父母の影響が色濃く残っている。特に彼に影響を与えたのは祖父で、「落葉」の老大佐、「大佐に手紙は来ない」の退役大佐、「百年の孤独」のアウレリャーノ・ブエンディーア大佐などのモデルになったと言われている。1936年女系家庭の中で唯一の男性であり、なんでも話せる男友達のようであった祖父がなくなる。1941年両親の元に戻る。

高校時代から、マルケスは執筆活動を始めており、「エル・エスペクダドル」紙に短編を投稿している。1947年、ボゴタ大学法学科に入学。この頃、ラテンアメリカの作家を志す若者達は、一般に法学科に入籍することが多く、ガルシア・マルケスと並び評されるバルガス・リョサ、その他多くの作家が法学科に在籍していた。

1948年ボゴタ騒動(自由党の大統領有力候補であるガイタンが対立していた保守党によって暗殺されたことによる自由党下層派市民の武装蜂起。約20万人の死者を出すと共に今のコロンビア第一のゲリラ、コロンビア革命武装隊(FARC)の発生起源にもなっている)が起こり、学校が閉鎖されたために家族の住むカタルヘナの大学に移るが、生活難により中退。「エル・ウニベルサル」紙の記者として働き、安アパートで貧乏暮らしをする。この頃、ジェイムズ・ジョイスフランツ・カフカウィリアム・フォークナーなどを耽読した。特にウィリアム・フォークナーはのちにガルシア・マルケス作品の土台を為すうえで絶大な影響を与えた作家である。後に、ノーベル賞の受賞演説の冒頭で、「フォークナーが立ったのと同じ場所に立てたことはうれしい」と語ったほどである。

1954年には「エル・スペクタドル」紙の記者としてボゴタへ戻り、翌、55年に教皇崩御を伝えるためにローマへ飛ぶ。ローマにて映画評論を本国へ送る傍ら、「映画実験センター」の映画監督コースで学ぶ。この体験によって、後年彼自身が映画監督をつとめることにもなる。しかし、同55年、自由党派「エル・エスペクタドル」紙は当時の独裁者ロハス・ピニーリャの弾圧によって廃刊する。これにより収入のなくなったガルシア・マルケスは安アパート「オテル・ド・フランス」で極貧生活を送ることになる。ガルシア・マルケスはこの地で「大佐に手紙は来ない」を執筆する。

1957年、友人が編集長を務める、カラカスの雑誌「エリーテ」にヨーロッパから記事を送り生活していた。1958年に結婚するためコロンビアにいったん戻り、カラカスに移り住む。この時使われた旅費は1955年に出版された「落葉」によるものだった。「落葉」はマルケスがヨーロッパ滞在中に彼の友人が祖国で「落葉」の原稿を見つけて、彼に無断で出版社に持ち込んだ作品であった。「落葉」はいわば偶然世に出た作品であった。

1959年キューバに渡りフィデル・カストロを知り、キューバ革命成立とともに国営通信社「プレンサ・ラティーナ」のボゴタ支局編集長となったが、間もなく編集部の内部抗争に嫌気がさし辞職。

1961年にメキシコに渡り映画製作に携わる傍ら、「大佐に手紙は来ない」を発表。1962年に前年から書いていた「悪い時」とカラカス時代に書き溜めた短編集「ママ・グランテの葬儀」を発表している。

1967年は「百年の孤独」が発表された年である。1965年のある日アカプルコ行きの車の中で17歳の頃から温めていた構想が一気にまとまったと言う。18ヶ月間タイプライターを叩きつづけて「百年の孤独」は完成した。「百年の孤独」はスペイン語圏で「まるでソーセージ並によく売れた」と言われ、貧乏生活から足を洗うことになる。60年代、フリオ・コルタサルバルガス・リョサ、マルケスを中心としたラテンアメリカ文学の人気は<ブーム>と呼ばれ、日本でも例外ではなく、知識人なら読んでいなければ恥であると言われるくらいのものだった。特に「百年の孤独」は大江健三郎筒井康隆池澤夏樹寺山修司中上健次など多くの作家に影響を与えた。

1973年ラテンアメリカの代表的詩人パブロ・ネルーダが亡くなった時、マルケスは軍事政権が消滅するまでは新しい小説を書かないと宣言したが、ネルーダ未亡人の懇望によって、1975年政治風刺色の強い「族長の秋」を発表。ただ彼自身は「小説家の任務は優れた小説を書くこと」として政治の舞台には一度も上がっていない。

1981年、彼自身が最高傑作だという「予告された殺人の記録」を発表。この作品は実際に起きた事件をモチーフにして書かれたものであるが、あまりにも描写が精緻であったために事件の真相を知っているのではと当局に疑われたという逸話を持っている。

1982年10月21日、スウェーデン王立アカデミーにて、ラテンアメリカでは4番目となるノーベル文学賞受賞。受賞の理由としては、「現実的なものと幻想的なものを結び合わせて、一つの大陸の生と葛藤の実相を反映する、豊かな想像の世界」を創り出したことにあった。

1997年、メキシコに移住。

2004年10月20日、10年ぶりに新作の小説『Memorias de mis putas tristes』を出版する。海賊版の出回りを防ぐために出版直前に最終章を変更している。

出生の謎


上記にも記したとおり、マルケスは1928年にアラカタカで生まれたとされている。しかしながらガルシア・マルケスは親兄弟の証言や出生証明書をみると1927年生まれであることが有力になっている。これの食い違いはガルシア・マルケスの若かりし頃のパスポートの誤記によるものが原因とされているが、ガルシア・マルケスが1928年生まれで通しているため主な作品の作者略記などが1928年を採用している。そのためこの頁でも1928年を一応の生年月日とした。

作品一覧


小説
  • 短編集 落葉(La hojarasca)-1955年
  • 大佐に手紙は来ない(El coronel no tiene quien le escriba)-1961年
  • 青い目の犬(Ojos de perro azul)-1962年
  • 悪い時(La mala hora)-1962年
  • ママ・グランテの葬儀(Los funerales de la Mamá Grande)-1962年
  • 百年の孤独(Cien años de soledad)-1967年
  • 族長の秋(El otoño del patriarca)-1975年
  • エレンディラ(La increíble y triste historia de la cándida Eréndira y de su abuela desalmada)-1978年
  • 予告された殺人の記録(Crónica de una muerte anunciada)-1981年
  • コレラ時代の愛(El amor en los tiempos del cólera)-1985年
  • 十二の遍歴の物語(Doce cuentos peregrinos)-1992年
  • 迷宮の将軍(El general en su laberinto)-1989年
  • 愛その他悪霊について(Del amor y otros demonios)-1994年
  • Memorias de mis putas tristes-2004年
ノンフィクション・エッセイなど
  • ある遭難者の物語(Relato de un náufrago)-1970年
  • 戒厳令下チリ潜入記-ある映画監督の冒険(La aventura de Miguel Littín clandestino en Chile)-1986年
  • 物語の作り方-ガルシア=マルケスのシナリオ教室(Cómo se cuenta un cuento)-1996年
  • 誘拐(Noticia de un secuestro)-1996年
  • Vivir para contarla-2002年

関連項目


外部リンク


コロンビアの小説家 | ノーベル文学賞受賞者 | 1928年生

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