カール・ツァイス (Carl Zeiss) は、ドイツの光学機器の製造会社であり、1846年にイェーナ市で創業した。1889年以来「カール・ツァイス財団」の所有下にある。またカール・ツァイス社の創立者であるカール・フリードリヒ・ツァイス(Carl Friedrich Zeiss, 1816年9月11日-1888年12月3日)はドイツの機械技術者(いわゆるマイスター)である。
さらにアッベは定款によって財団傘下の企業の経営方針を「人類の福祉に貢献する」と規定し、それに沿った経営を行った。8時間労働制、時間外勤務手当、年次有給休暇、年金制度などを世界に先駆けて整備し、労働者の待遇改善に努めた。また、技術的に価値の高い新規の発明については特許を取ることを禁じ、進んで公開するものとした。ただし、この方針は他社に特許をとられてしまうために技術公開の目的が達成されず、やむを得ず特許を取得して公開する方針に切り替えられたという。他社が経営上の理由から二の足を踏む分野に対しても財団傘下の企業が積極的な技術開発を行い得たのは、財団の上記のような経営方針によるものである。高度な技術開発を行うために傘下の企業は技術的研鑽を積まざるを得ず、結果として世界最高水準の技術力を現在に至るまで持ち続けることができた。
ツァイス財団の「人類の福祉に貢献する」という社是は、ナチスが台頭してくると「マルクス主義的」と見なされ、経営に容喙される原因になったといわれている。
第二次世界大戦後のドイツ東西分割によって財団も分裂したが、ドイツ統合後にひとつに戻り、現在も傘下の企業ともども健在である。財団傘下の企業としてはカール・ツァイス社やツァイス・イコン社(Zeiss-Ikon)、ショット・グラス社 (Schott Glas)などを代表として数多い。
第二次世界大戦の敗戦直後、ドイツの東西分断により、ドイツ東部にあったイェーナはソ連占領統治下に置かれる。しかしアメリカ軍はカール・ツァイスの光学技術をソ連にそのまま渡すことを阻止するため、ソ連軍に先んじてイェーナに入り、技術者の多くを半ば強制的にオーバーコッヘンに移動させ、ツァイス・オプトン社として光学機器の生産を引き継いだ。一方ソ連軍はイェーナの工場群を接収、残った技術者もソ連に送った。これによってカール・ツァイスは東西に分裂した。東側はイェーナに半官半民の「人民公社カール・ツァイス・イェーナ」を設立、このイエナのカール・ツァイス社は東ドイツの誇る光学機器メーカーとして存続した。その後どちらがツァイスの名やコンタックス等商標の権利を持つか裁判で長年にわたって争うこととなる。
ちなみに、フットボールチームのカール・ツァイス・イエナは1903年に創設された。東ドイツ(DDR)時代には国を代表する強豪チームであった。
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