カンダハール(ダリー語 : قندهار Qandahār)は、アフガニスタンの都市。同国南部の主要都市で、カンダハール州の州都でもある。人口はおよそ12万人。
アフガニスタンの最大民族パシュトゥーン人の居住地域にあり、パキスタン領のペシャーワル(ペシャワール)と並ぶパシュトゥーン人の主要都市。アジアハイウェイの路線上にあり、東はガズニー(ガズナ)を経てカーブル(カブール)に通じ、西はヘラートを経てイランのホラーサーン地方および中央アジアに至る。南に進めば国境を越えてパキスタン領バローチスタンのクエッタに至り、インダス川下流域の大平原からインド亜大陸へと通ずる交通の要衝である。
カンダハールの名前は、前4世紀の征服者アレクサンドロス(Alexandoros)の「xandoros」の部分が転訛したとの説があるが、カンダハールの東方、カーブルのさらに東にある仏教文化の本場ガンダーラの名が転訛したものとする説が有力である。
カンダハールの地には先史時代から多くの人々が住みつき、インド・イラン・中央アジアをつなぐ交易の拠点となっていたことが知られる。紀元前6世紀頃にはアケメネス朝の支配下に入り、ペルシア帝国の属州となっていた。
現在に繋がるカンダハールの町は、紀元前4世紀、アケメネス朝を滅ぼしたマケドニア王国のアレクサンドロス大王がギリシャ語でアラコシア地方と呼ばれたこの地域の主邑として、既に数千年前からの集落があったカンダハールの地に築いたギリシャ都市アレクサンドリア・アラコシアに遡る。同じ世紀の末にはアレクサンドロスの帝国を引き継いだセレウコス朝からマウリヤ朝のチャンドラグプタに割譲され、インドの王国の支配下に入ってインド文明の影響を受け、仏教が信仰されるようになった。その後もクシャーナ朝やサーサーン朝の統治のもとで仏教文化が栄えたが、7世紀にアラブ人による征服を受け、ムスリム(イスラム教徒)の支配下に入った。
9世紀から12世紀にかけて、カンダハールはサッファール朝、ガズナ朝、ゴール朝などのイラン・アフガニスタン方面に勃興したイスラム王朝の支配を相次いで受け、イスラム都市となっていった。ゴール朝の滅亡後まもない1222年にはチンギス・ハーンによって征服され、モンゴル帝国の版図に加えられる。1383年には今度はティムールの征服を受け、アフガニスタン南部からバローチスタン北部(クエッタ周辺)を支配するティムール朝の地方政権が栄えた。
16世紀初頭に中央アジアから南下してきたティムール朝の王子バーブルがカーブルを本拠地とする政権を樹立するとカンダハールもその支配下に加えられ、バーブルの興したムガル帝国の一部となった。バーブルが死ぬと、カーブルを継承した次男カームラーン・ミールザーの支配下に入り、インドを支配する長男フマーユーンとの間で争奪され、これに西のイランを支配するサファヴィー朝が介入した。ムガル帝国を再統一したフマーユーンの子アクバル以来、カンダハールはムガル帝国とサファヴィー朝の間で激しい争奪戦が繰り広げられる最前線となり、1558年にサファヴィー朝が奪取、1594年にムガル帝国が奪還した。1621年になってサファヴィー朝のアッバース1世がカンダハールを占領し、以来サファヴィー朝の支配が続く。
18世紀初頭、サファヴィー朝の支配力の衰退が著しくなると、この地方に居住するパシュトゥーン人のギルザイ部族に属するミール・ヴァイスがカンダハールを拠点としてサファヴィー朝から自立した。ミール・ヴァイスの子マフムードは1722年にサファヴィー朝の都イスファハーンを征服し、イランの大部分を支配するに至る。しかし、1737年にサファヴィー朝に代わってイランのシャー(王)に即位したアフシャール朝のナーディル・シャーによってギルザイ政権は打ち破られ、カンダハールは徹底的に破壊された。これによりアレクサンドロス以来のカンダハールは放棄される。
1747年にナーディル・シャーが暗殺されるとアフシャール朝の勢力は後退し、かわってナーディルに仕えていたパシュトゥーン人の将軍アフマド・シャー・ドゥッラーニーがこの地方の支配権を握った。アフマド・シャーは、放棄されたカンダハール旧市から東に5km離れた位置に新たな城塞都市を築き、自らが樹立したドゥッラーニー朝の首都に定めた。新カンダハール市は、18世紀末にカーブルに移るまでドゥッラーニー朝の首都として使われた。
アフガニスタンがイギリス領インドと境を接するようになると、カンダハールはインドと容易に往来できる位置にあることから1838年から1842年と1879年から1881年には二度に渡ったアフガン戦争の戦場となり、いずれも緒戦でクエッタから侵攻して来たイギリス軍によって占領された。
20世紀末のアフガニスタン内戦では1994年にターリバーン最初期の占領地となり、ターリバーンの勢力拡大の物心両面の本拠として重要な地位を占める。2001年のアメリカのアフガニスタン侵攻、北部同盟の大攻勢で首都カーブルが失われた後もターリバーン側の最後の拠点となり、12月6日の明け渡しまで激しい攻防戦が繰り広げられた。
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