カトリック教会(カトリックきょうかい、ローマ・カトリック教会、ラテン語:Ecclesia Catholica)はローマ教皇を中心とし、全世界に10億人以上の信徒を有するキリスト教の最大教派。
「カトリック」の語源はギリシア語の「カトリケー(καθολική:普遍的)」やラテン語では「カトリクス(Catholicus)」等である。和称としてはかつて「公教会(日本語の旧名称では天主公教会)」という名称も使われていた。
カトリック教会自身による定義は「教会憲章(Lumen Gentium)」にみられる「ペトロの後継者(ローマ教皇)と使徒の後継者たち(司教)によって治められる唯一、聖、カトリック、使徒的な教会」という表現にもっともよく表されている。
なお、一部では、1054年の大シスマによる東西教会分裂以前の教会で、ニカイア信条・ニカイア・コンスタンティノポリス信条およびカルケドン信条を信仰する教会(アリウス派や単性論の対義語という意味。正統教義ともいう)を指して「カトリック」と呼ぶこともあるので、注意が必要である。この場合は現在のローマ・カトリック教会と東方正教会を含む。
カトリック教会が正典とする旧約聖書には七十人訳聖書には含まれていたが、ヘブライ語のマソラ本に含まれていない文書がある。それらは第二正典という語で指される場合もあるが、トリエント公会議以降、正典に含めている。(『新共同訳聖書』では第二正典の部分を正典に含めない宗派へ配慮して旧約聖書続編という名称になっている。)
日本語訳聖書においても、かつてカトリック教会とプロテスタント諸派では異なる聖書を用いてきた。しかし、第2ヴァティカン公会議以降の世界でのカトリックとプロテスタントによる聖書の共同翻訳という流れを受けて、日本でも両者による共同翻訳作業が始められた。その成果が初めて形になったのが『共同訳聖書』であり、『共同訳』の表記などの問題点を改善したものが、現在日本のカトリック教会でもっともよく用いられている『新共同訳聖書』である。
現代のミサの中では、平日には福音朗読と福音以外の聖書箇所の朗読、主日(日曜日)と祝日には、福音朗読と福音以外の聖書朗読が二つのあわせて三つの朗読がおこなわれる。
ミサ以外の重要な典礼行為として聖務日課があげられる。これは本来「時課の祈り」という意味で、一日の各時間を祈りをささげることで聖化することが目的である。日課の中で特に重要なのは、ラウズとヴェスパと呼ばれる朝の祈りと晩の祈りである。これらに加えていくつかの祈りが一日の中でおこなわれる。(かつて九時課、六時課、三時課とよばれた。)それ以外に読書課という祈りもあり、そこでは祈りと共に、聖書朗読と聖人伝や古典的な著作が読まれる。聖務日課の中心となるのは旧約聖書の詩篇である。
公会議の位置付けはキリスト教各教派によって異なっており、東方正教会では最初の7つの公会議のみを認めており、単性論教会では最初の3つのみを認めている。さらにネストリウス派の諸教会は最初の2つしか認めていない。
1054年の東方正教会との分裂よりもはるかに古いエフェソ公会議やカルケドン公会議における分裂であっても、実際に分裂の直接の原因となったのは、本質的なことではなくささいな教義論争である。それをよく示すのは、1994年11月に発布された『キリスト理解におけるカトリック教会とアッシリア正教会の共同宣言』である。これはカトリック教会のヨハネ・パウロ2世とアッシリア正教会の大主教マル・ディンハ4世の間で調印された。
アッシリア正教会とカトリック教会の分裂は431年のエフェソ公会議で争われた「テオトコス論争」という聖母マリアの称号をめぐる論争が原因となっている。これは「神の母」と「キリストの母」という称号のどちらが正しいかということが論議となったものである。「共同宣言」では、「どちらの呼び方も同じ信仰を表明したものであり、両教会は互いの典礼と信心を尊重する」と述べている。
さらに難しいのは東方正教会との合同問題である。つまりカトリック教会と東方正教会が合同するためには、教義の問題よりも、互いの伝統に関する問題が大きな障害となっている。たとえば、ローマ教皇の首位権をどう評価するかという問題や、互いの典礼や信心における差異をどう尊重しあうかという問題になっている。
カトリック教会で用いられる教導権という言葉は、信徒を教え導く権威のことを示している。この権威は神学者のものではなく、司教たちのものである。カトリックの理解では、人々がある教えを自分勝手に理解するとかならず矛盾や対立が生じることになると考える。イエスは聖霊を送って教会を導くことを約束しているが、この導きはカトリック教会の権威が信仰と道徳に関することについて発言するときに現れるというのがカトリックによる教導権の解釈である。ただ、これは決して聖霊が個人が導かないといっているわけではない。
ユダヤ人の教育において、指導者がトーラーを声に出して読みながら、覚えさせるという伝統がある。これはヘブライ語の文章は母音が表記されていないため、さまざまな読み方が可能であったためだが、そこにおいては口伝が文章を確定させる。これがカトリック教会が聖書と同様に聖伝(聖なる伝承)を尊重することのたとえとして用いられる。
カトリック教会とプロテスタントの諸教会との間での教義的な差異は東方教会よりさらに大きい。プロテスタントはカトリック教会が使徒本来の教えをゆがめてきたと考えてきた。しかし、現在ではエキュメニズムの進展に伴って対話がすすみ、過去の互いの弾劾において誤解による部分が少なからずあったことを双方が認めている。
『カトリック教会のカテキズム』第882項は『教会憲章(Lumen Gentium)』を引用して次のように述べている。「『教皇が、ローマの司教にしてペトロの後継者である』ことが、変わらず目にみることのできる信仰の源泉にして基礎である。」
特別な状況においてのみ、教皇首位権はペトロに由来する立場と権能によって行使される教皇不可謬性さえ含むものとなりうる。これは「信仰と道徳に関して、教皇が教会の頭として使徒座(Ex Cathedra)から荘厳に宣言する」場合のみに関して教皇は誤り得ないという考え方である。これはあくまで非常に限定された場合であり、通常の理解ではその首位権というのは、全司教の中におけるローマ司教の優位権のことを指している。
教皇選挙に関する最新の規定は1996年の使徒憲章「ウニベルシ・ドミニ・グレギス(Universi Dominici Gregis)」に示されている。そこで定められているのは、教皇選挙においては選挙者たる枢機卿団は外界との連絡から隔離され、システィーナ礼拝堂において議論と投票を繰り返すということである。この選挙をコンクラーヴェという。新教皇の決定にいたるためには投票者の三分の二以上の票を集める必要がある。また慣例によって、教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿に限られる。
教会法の規定によって、教皇は自主的に退位することが可能である。歴史的にも自主的に教皇が退位したケースはいくつかみられる。しかし、もっとも最近のものでも1415年に大シスマの終息のために退位したグレゴリウス12世のケースであり、それ以降は現代に至るまで見られない。他に退位した有名な教皇として1294年に退位したケレスティヌス5世のケースがある。彼はダンテの『神曲』の中で教皇位退位の咎により地獄で責め苦を受けるさまを描かれているが、これはあくまでダンテの解釈であり、カトリック教会からは1313年に列聖されている。
枢機卿団は教皇庁で働く高位聖職者や世界の重要な司教区の司教たちの中から教皇によって任命される。教皇選挙に参加できるのは80歳未満の枢機卿であるという慣例を逆手にとって、80歳以上の聖職者で教会に大きな貢献をしたものが名誉職的に枢機卿にあげられることもよくおこなわれる。そのような枢機卿の中には、神学者やヴェトナムなどで政府によって長期にわたって投獄されていたような司教も含まれる。
枢機卿制は1059年に教皇選挙権がローマとその郊外に在住する聖職者に限定されたことに由来する。これは枢機卿団の本来の目的が教皇の顧問団であったことを示している。枢機卿をあらわすカーディナルという言葉はラテン語のカルド(ちょうつがい)に由来している。やがて、ローマ以外の聖職者でも教皇に任命されることで枢機卿団に加わり、ローマで働くという制度が確立していく。
司教は助祭、司祭とならび叙階の秘跡によってその地位を受けるものであるため、高齢や支障によって司教の実質的な職務を引退した後や、司教の職務を停止された場合でも司教の称号は終生保たれる。なぜなら叙階は秘跡であるため消えることがないと考えられているからである。司教の中には「大司教」や「総大司教」といった地位に上げられるものもいるが、これらは叙階の秘跡による位階ではなく、教区の規模に応じて定められた教会行政上の職掌を表すものである。(すなわち「司祭」が「司教」に叙階されることはあっても、「司教」が「大司教」に叙階されることはない。)東方教会のあるものは総大司教が首長となっている。
地域の司教たちは定期的に会合を開いて、さまざまな問題について討議する。これを司教会議(シノドス)という。シノドスでは典礼などの問題に関しては決議することが出来るが、特定の司教の処遇に関してなどの決議のためには、有資格司教の三分の二以上の同意と教皇庁の裁可が必要とされている。
歴史的には使徒たちの多くや初期の聖職者たちは既婚者であったが、古代教会から司祭の独身制は推奨されており、修道会出身の教皇グレゴリウス1世によるグレゴリウス改革以降、上級聖職者(司教、司祭、助祭)の独身制が徹底されてきた。ただ例外として、東方典礼を行う教会(東方典礼カトリック教会)やプロテスタントなどからの改宗者の場合は既婚者が特別に認められる事がある。また、第2ヴァティカン公会議以降、終身助祭(司祭となる事を前提としない助祭)に関しては既婚者の叙階が認められている。しかし、どちらにしても叙階後の結婚や既婚者の妻が亡くなった場合の再婚は認められていない。
また、パウロ6世の時代まで下級叙階とよばれる聖職位階が存在したが、現代では「聖体奉仕者」と「祭壇奉仕者」の二つに減らされ、かつてのような聖職位階として扱われることはなく「信徒使徒職」とよばれ、誰にでも開かれたものとなっている。
今も日本の歴史書や歴史教科書にそのように書かれることがあるが、かつてのカトリック教会においては教皇を頂点に、司教、司祭、信徒がいるというピラミッド型のヒエラルキー構造が強調される傾向があった。しかし、第2ヴァティカン公会議では、すべての信徒がキリストの祭司職にあずかっているという「神の民の教会論」が見直され、従来の聖職者至上主義の修正がはかられた。
ヨーロッパでカトリック信徒の多い国は、ラテン諸国といわれる国でフランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、非ラテン諸国ではオーストリア、ベルギー、クロアチア、チェコ、ハンガリー、アイルランド、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロヴァキア、スロヴェニアである。ドイツ、オランダ、スイスおよび北アイルランドはカトリックとプロテスタントがほぼ同数である。
アメリカ大陸では特に南アメリカに信徒が多く、特に多いのはメキシコ、ブラジル、アルゼンチン、コロンビアである。
アジアではスペイン・ポルトガルの植民地であった歴史的背景からフィリピン、東チモールにカトリック信徒が多い。大韓民国でも第2次世界大戦後から信徒の数が大幅に増えている。
英語を用いる国ではアイルランド以外は一般的にカトリックはマイノリティーであり、イタリアやアイルランド、ドイツといったカトリック国からの移民の子孫が多い。
なお教皇庁は、これらの行為の多くを過ちとして認め謝罪している。1992年教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ・ガリレイに対する教会裁判のあり方が不適切であったと公式に認め謝罪した。 現代のカトリック教会で批判されることが多いのは、特に人工受精や妊娠中絶、人工避妊、同性愛、ES細胞研究への態度である。特に妊娠中絶の支持者には聖体の秘跡の授与を制限すべきだという教会関係者の発言が物議をかもした。また、20世紀の終わりには一部の聖職者による性的虐待がアメリカをはじめ世界各地で行われていたことが報道された。
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