ウルク(Uruk)は古代メソポタミアの都市、又はそこに起こった国家。古くはウヌグ(Unug)と呼ばれた。古代メソポタミアの都市の中でも屈指の重要性を持つ都市である。都市神はイナンナ。
ウルク第1王朝の王達の記録は非常に神話的、伝説的である。その創始者メスキアッガシェルは太陽神ウトゥの子とされ2310年間統治したと言う。彼の子孫達も何らかの神性を持った王として語られる。「ウルクを建設したる者」エンメルカル、「牧夫」ルガルバンダ、「漁夫」ドゥムジ、そして「ウルクの城壁を建設したる者」ギルガメシュと、シュメール神話における著名な王が続く。ギルガメシュ以降のウルク第1王朝の王については説話が殆ど残されていない。
これらの王のうち何名かは実在の王であったと推定されている。特にギルガメシュ王は、彼と同じ説話に登場するキシュ第1王朝の王エンメバラゲシの実在が確認されていることや、構成の説話におけるギルガメシュの存在感の大きさから、実在の人物であることが確実視されている。
エンメルカルがエラムの都市アラッタを服属させたことやルガルバンダ王がマルトゥ人(アムル人)の侵入を撃退した事、ドゥムジ王が妻である女神イナンナによって冥界に落とされた話が伝わっている。ギルガメシュ王についてはギルガメシュ叙事詩を初め多数の説話が残される。『ギルガメシュとアッガ』などの説話によれば、ウルクは一時キシュの覇権下にあったらしいことと、ギルガメシュがキシュと戦って勝利したらしいことが叙述されている(詳細はギルガメシュ、ならびにギルガメシュ叙事詩の項目を参照)。
後世の説話や神話の信憑性にはかなりの問題があるが、実際にウルク遺跡は大規模な拡張が続いており、強い影響力をもった王国の1つであったと考えられる。
またウルク第2王朝の王ルガルキギンネドゥドゥは、ラガシュとウンマの戦争に際してラガシュ側に立って参戦したことが碑文等によって確認されている。この王はしたたかに立ち回りラガシュとウンマの戦争で漁夫の利を得たが、シュメール王名表にはその名が記載されていない。同王名表で第2代の王とされているルガル・ウレと同一人物とする説もあるが、相対年代を決定する手がかりが少なく、王名表に従った単純な同定が正しいのかどうかを含めて議論がある。王名表による最後の王アルガンデアについても同様の問題があり、同時代史料に登場するウルク王ルガルキサルシと同一人物とする説もあるが問題が多い。
総じてウルク第2王朝の王統は非常に不完全な状態でしか再構築されていない。またその年代についても諸説あり、正確な時期を特定するのは困難である。最近ではシュメール王名表記載の王統にはかなりの齟齬・遺漏があり、エンシャクシュアンナをこの王朝の最初の王とする説は過去のものとなりつつある。そしてエンシャクシュアンナ王はルガルザゲシ王と比較的近い時代の人物でその在位は紀元前24世紀初頭頃とする説が有力となっている。(詳細はエンシャクシュアンナの項目を参照。)
ウルク市はこの後衰退し、紀元前2千年紀中盤には重要性を喪失した。
ヘレニズム時代のウルクは政治的な重要都市として現れることはないが、熱心な研究の対象となっている。これはアジアにおけるヘレニズム世界について羊皮紙やパピルスに記録媒体が移ったために殆ど記録が残っていない中で、楔形文字による粘土板文書が作成され続けたためにウルク及びバビロンだけは例外的にある程度まとまった記録が残存していることによる。粘土板文書は伝統的なアッカド語で記されたが、日常語としては死語となっており一般的なウルク人はその多くがアラム語を使用していた。これは当時のアッカド語文書の文法間違いの多さによって裏付けられ、また楔形文字文書にちょっとしたメモなどが記される時にはアラム語アルファベットで記されるなど、アッカド語楔形文字の非日常性が伺われる。また当時の史料にはギリシア風の人名もある程度現れるがその数は少なく、人口に占めるギリシア人の割合はかなり低かったようである。
この頃になるとメソポタミア文明は(少なくても古典の継承と言う面において)終焉の時期を迎えており、楔形文字も次第に使用されなくなっていった。前述したように絵文字の発明以来楔形文字文学の中心地の1つであったウルクは、バビロン市と並んで最後まで楔形文字文書が作成され続けた都市であったが、バビロンより一歩早く紀元前1世紀頃楔形文字は使用されなくなった。
ただしアルサケス朝時代の史料にはウルクがバビロンと並ぶ天文学の拠点であった事が記録されており、メソポタミア時代の天文観察の伝統を受け継いでいたことが知られる。また宗教的にも重要性を持ったらしく楔形文字の使用が終わってもなお、古い神々への信仰は続いていたと考えられる。少なくてもヘレニズムは宗教面においえは限定的な影響に留まっていた。政治、行政面でのヘレニズムの影響については研究者によって見解に大きく相違があり、G・マケワンのようにウルクが殆どポリス化した政体を持ったという説を主張するものや、ファン・デア・スペクのように生活面においてウルクはヘレニズムの影響をほとんど受けなかったとする主張をするものも存在する。これらの説はいずれに対しても有力な反論が出されており、又史料的制約によって定説といえるものは存在しない。
サーサーン朝時代に入ると都市は衰退を続け、イスラム帝国の勃興と前後してウルク市は放棄された。
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