イスラエルの失われた十部族(イスラエルのうしなわれたじゅうぶぞく)とは、イスラエルの12部族のうちの行方が知られていない10部族を指す。
ダビデ王(紀元前1004年‐紀元前965年)の時代に統一イスラエル王国として12部族がひとつにされる。しかし、ソロモン王(紀元前965年‐紀元前930年)の死後、南北に分裂し、サマリヤを首都に10部族による北王国イスラエルと、エルサレムを首都にする2部族による南王国ユダに分かれた。
北王国のイスラエルは、現在のユダヤ人のような一神教的宗教を奉じていなかった可能性が高い。エルサレムのヤハウェ信仰にも一定の尊重を払っていたが、首都サマリアに金の子牛の像をおいて祭祀の中心としていた。
北王国は紀元前722年にアッシリアにより滅ぼされて、10部族は地方を追放される。この10部族の行方が文書に残されていないため、2部族によって失われた10部族と呼ばれた。
なお、南王国のユダは、紀元前586年にバビロニアに滅ぼされ捕虜となった後にバビロニア国内で宗教的な繋がりが強くなりユダヤ教が確立することになる。ユダヤの名は直接にはローマ属州ユダヤからきている。宗教的な性格を強くし、のちに商業を営みつつ世界に広がっていくことになるが、このバビロニア捕囚時代に他民族の中においてもユダヤ民族としての独自性を保つ基礎が作られた。
ユダヤに対して、旧北王国の版図は、ヘレニズム期にはサマリアまたガリラヤと呼ばれた。サマリヤにはゲリジム山を中心に、ユダヤ教と一部を共有するものの独自の祭祀が発達し、「サマリア人」と呼ばれた。今日の研究者は、サマリア人は婚姻などによって周辺民族と同化したかつての10支族の子孫であると推測している。一方、復興したエルサレム神殿を中心とする宗教的アイデンティティを固めていたユダヤ人は、祭祀を異にするサマリヤ人を同族と認めず、異教徒として扱った。捕囚期以後のユダヤ人は、文化的アイデンティティを確保するために、異民族との通婚を嫌い、2支族においても異民族と結婚したものを、ユダヤ人のコミュニティから排除することが行われた。このためユダヤ人の側からは10支族とサマリア人の関連を認めず、失われたとする見方が生じた。
研究者のなかには、パレスチナにいたサマリヤ人の大部分とユダヤ人の一部は、のちにイスラム教に改宗し、現在のパレスチナ人の遠祖となったと指摘するものがある。一方、いわゆるシオニズムを支持する学者には、こうした指摘を黙殺するものがある。
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"イスラエルの失われた10支族".
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