| ノーベル賞受賞者 | Nobel Prize Medal.jpg |
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| 受賞年: 1927年 | |
| 受賞部門: ノーベル文学賞 | |
アンリ・ベルクソン(Henri Bergson, 1859年10月18日 - 1941年1月4日)は、ポーランド系ユダヤ人を父として、パリに生まれたフランスの哲学者。
リセで古典学と数学を深く修めたあとに入学した高等師範学校では、カントを奉じる新カント派一色であった当時の教授陣への反発と、ハーバート・スペンサーの著作を熟読して受けた実証主義・社会進化論の影響のもとに、自己の哲学を形成する。1881年に受けた教授資格国家試験では、現代心理学の価値を問う試問に対し、現代心理学のみならず心理学一般を強く批判する解答をしたため、審査員の不興を買うことになった。結果、ベルクソンは2位で合格する。
合格後、リセ教師となった彼は、教師として教えるかたわら、学位論文の執筆に力を注ぐ。そして1888年、ソルボンヌに学位論文『意識に直接与えられたものについての試論』(英訳の題名『時間と自由意志』)を提出し、翌年、文学博士号を授与される。この著作の中で彼は、これまで「時間」と言われてきたものは、分割できないはずのものを空間的なものによって分節化して生じたものであるとして批判し、そうしたものによって分割できない意識の流れを「持続」("durée")と呼び、このなかに身を置くこと(つまり、「持続」を捉えること)を直観と規定した。ベルクソンはこの考えに基づいて、人間の自由意志の問題について論じた。この「持続」は、時間/意識の考え方として個性的なものであり、哲学における「時間」の問題に一石を投じたものといえる。
その後1896年には、哲学上の大問題である心身問題を扱った第2の主著、『物質と記憶』を発表。ここでベルクソンは失語症についての研究を手がかりに、物質と表象の中間的存在として「イマージュ("image")」という仮説を用いつつ、この哲学上の大問題と格闘している。
1900年よりコレージュ・ド・フランス教授に就任し、1914年に休講(1921年正式に辞職)するまでそこで広く一般の人々を相手に講義をすることになる(ベルクソンは結局、大学の正式な教授になることはなかった)。その講義は魅力的なものであったと伝えられ、押しかける大勢の人々にベルクソン本人も辟易するほどの大衆的な人気を獲得した。
スペンサーの社会進化論から出発し、『試論』で意識の流れとしての「持続」を提唱し、『物質と記憶』で意識と身体を論じてきたベルクソンは、考察を生命論の方向へとさらに押し進め、1907年に第3の主著『創造的進化』を発表する。これはベルクソンにおける意識の持続の考え方を広く生命全体・宇宙全体にまで押し進めたものといえる(そこで生命の進化を押し進める根源的な力として想定されたのが「生の飛躍("élan vital")」である)。
国の内外で名声の高まっていったベルクソンは、公の場にも引っぱり出されるようになる。第一次世界大戦中の1917年・1918年には、フランス政府の依頼でアメリカを説得する使節として派遣された。また大戦後の1922年には国際連盟の諮問機関として設立された国際知的協力委員会の委員に任命され、第1回会合では議長となって手腕を振るった(当時の国際連盟事務次長であった新渡戸稲造とも面識があった)。1930年、フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を授与される。
こうした公的活動の激務のなかでも、ベルクソンの著作を書く意欲は衰えず、1932年に最後の主著として発表されたのが『道徳と宗教の二源泉』である。この著作では、社会進化論・意識論・自由意志論・生命論といったこれまでのベルクソンの議論を踏まえたうえで、人間が社会を構成する上での根本問題である道徳と宗教について「開かれた社会/閉じた社会」「静的宗教/動的宗教」「愛の飛躍("élan d'amour")」といった言葉を用いつつ、独自の考察を加えている。
生きた現実の直観的把握を目指すその哲学的態度から、ベルクソンの哲学はジンメルなどの「生の哲学」といわれる潮流に組み入れられることが多く、「反主知主義」「実証主義を批判」などと紹介されることが多い。だが実際のベルクソンは、当時の自然科学にも広く目を配りそれを自分の哲学研究にも大きく生かそうとするなど、決して実証主義の精神を軽視していたわけではない(アインシュタインが相対性理論を発表するとその論文を読み、それに反対する意図で『持続と同時性』という論文を発表したこともある)。
一方で、ベルクソンは新プラトン主義のプロティノスから大きな影響を受けていたり、晩年はカトリシズムへ帰依しようとするなど、神秘主義的な側面ももっており、その思想は一筋縄ではいかないものがある(ベルクソンは霊やテレパシーなどを論じた論文を残してもおり、それらは『精神のエネルギー』に収められている)。
ベルクソンの哲学が与えた影響は、当時の人々にはもちろん、後の世代の人々にも大きい。その影響の範囲も広く、ハイデガー、ジャンケレヴィッチ、サルトル、バシュラール、レヴィナス、メルロ=ポンティ、ドゥルーズといった哲学者のみならず、宗教学者のジャック・マリタン、政治哲学者のジョルジュ・ソレルや小説家のプルーストなどにいたるまで影響を与えることとなった。
またベルクソンは自身の著作において言葉をとても大切にしながら書いていて、その文章は明快かつ美しい文章で書かれ散文としても素晴らしいものとなっており、1927年にはノーベル文学賞を受賞している。
1939年に第二次世界大戦が始まると、ドイツ軍の進撃を避け田舎へと疎開するが、しばらくしてパリの自宅へ戻っている。反ユダヤ主義の猛威が吹き荒れる中、同胞を見棄てることができなかったからだといわれている。1941年年頭、凍てつく寒さの中、ドイツ軍占領下のパリの自宅にて風邪をこじらせひっそりと世を去った。占領下ということもあって、参列者の少ないきわめて寂しい葬儀のあと、パリ近郊のガルシュ墓地に葬られた。
葬儀に参加したヴァレリーは
「アンリ・ベルクソンは大哲学者、大文筆家でしたが、それとともに、偉大な人間の友であった」
と弔辞を述べて、ベルクソンを讃えている。
ベルクソン死後26年を過ぎた1967年、その功績が讃えられ、パンテオンにベルクソンの名が刻まれ、祀られることとなった。
「その著作と生涯によって、フランスおよび人類の思想に栄誉をもたらした哲学者 ― アンリ・ベルクソン」(パンテオンに刻まれた碑文)
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