Autobahn 1-999.png | Autobahnkreuz Breitscheid Ratingen.jpg | Zeichen 330.svg
アウトバーン (Autobahn) は、ドイツの高速道路。アウトバーンの意味は単純に「自動車専用道路(軌道・車線)=高速道路」である。アウトバーンの路線番号は東西方向が偶数、南北方向が奇数に割り振ってある。その他に、高規格の自動車専用道路をシュネルストラッセ(Schnellstrasse 早い道路)と呼んで区別している。
アウトバーンには速度無制限区間と速度制限区間がある。速度無制限区間であっても無制限なのは乗用車だけで、トラックは80km/hが制限速度になっている。近年は速度制限区間が多くなり、速度無制限区間は路線全体の半分以下になっている。ちなみに速度無制限区間における推奨巡航速度は130km/hとされている。
速度無制限区間であっても交通量の増大に伴い、近年幹線においては200km/hの高速で走行することは難しい。現実的には150-160km/hが限界速度と感じられる。
かつては全線無料だったが、2005年1月より12トン以上の大型トラックについて有料となった。ただし料金所もゲートも存在しないので、GPSと携帯電話による通信を用いた課金方法を取っている。
※注記1:ドイツの制限速度
シュネルストラッセの制限速度は大体120km/hとなっている。ドイツの速度制限ルールはいったて簡単で、街の始まりを示す標識、終わりを示す標識の間の市街地は50km/h、それ以外は100km/hである。
※注記2:バーン
専用軌道的な意味合いを持つ。例:Sバーン、Uバーン、ストラッセンバーン 全部鉄道である。 アウトバーン、シュネルストラッセ 自動車用の道路である。
第一次世界大戦後のドイツは莫大な賠償金を請求されるなどしてハイパーインフレーションに陥った上、その後の世界恐慌による不景気で深刻な経済状況となり国内は大量の失業者であふれていた。1933年のナチ党による政権成立後アドルフ・ヒトラーは経済政策の一環としてアウトバーン計画を含む公共事業に注力した。軍需相フリッツ・トートの指揮下アウトバーンの建設が進められた。これらの公共事業のおかげでドイツでは失業者がほとんどいなくなったと言われている。アウトバーン計画はプロパガンダに利用され、中央集権国家を作り上げるのに役立った。
アウトバーンは世界で初めての高速道路ネットワークであった。このことはドイツを世界屈指の自動車大国に作り上げていく大きな礎となったと言える。フランクフルトからダルムシュタットまでの最初の区間は1935年に開通した。この直線区間は1938年前半にドイツ人レースドライバー、ベルント・ローゼンマイヤーの致命的な事故が発生するまでメルセデス・ベンツおよびアウトウニオンのグランプリチームによって最高速度記録達成のため使用された。第二次世界大戦中は補助滑走路として、トンネルや近くの森の中に偽装された航空機の離着陸に使用された。 連合国による激しい爆撃によってアウトバーンは多くの部分が破壊されたが、戦後西ドイツ地域の区間は早急に修復が行われた。一方東ドイツおよびポーランド政府はその修復を怠った(というより経済的な事情で出来なかったのである)。1950年代に西ドイツ政府は構築プログラムを再開し、新区間の建設および既存区間の改良に多額の投資を行った。1980年代には西ドイツ国内ですべての世帯から10km以内のアクセスを提供する準備ができていたが、ドイツ再統一後は大部分の建設計画と資金を忘れ去られていた東側にシフトした。
しかし、各国からの交通量の増加に加えて周辺の環境対策や道路の整備維持など、莫大な費用がかさんできており、現在ドイツ政府は有料化の方向で検討している。
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