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株式会社りそな銀行りそなぎんこうResona Bank, Limited)は、りそなホールディングス傘下である、りそなグループの中核を担う都市銀行である。かつての大和銀行とあさひ銀行との合併により誕生した。存続会社は大和銀行(清算会社はあさひ銀行)。
本店は大阪府大阪市中央区にある大阪営業部(旧大和銀行本店)。旧大和銀行の東京営業部は大手町営業部(東京営業部店舗内)、旧あさひ銀行本店営業部は東京営業部へ、さいたま営業部は埼玉りそな銀行さいたま営業部(本店)へ、大阪営業部は大阪中央営業部(大阪営業部店舗内)へとそれぞれ移行された。 なお、埼玉県内の旧あさひ銀行の店舗は、埼玉りそな銀行として分離している(浦和支店を除く)。

2006年1月1日奈良銀行を吸収合併し、同日より旧奈良銀行本店は、りそな銀行新奈良営業部に衣替えした。

旧大和銀行の流れを受け、大阪府と大阪市の指定金融機関である(大阪市は三井住友銀行三菱東京UFJ銀行みずほ銀行との輪番制)。
また、旧大和銀行時代から国会の議員会館内に支店(衆議院支店・参議院支店 ※同支店の開設に当たっては、当時の三井銀行三菱銀行が激しく競合し収拾がつかなくなり、結局、両成敗の形で、当時都銀下位行であった大和銀行に認められたとの説がある)を持つ唯一の銀行であり、国会議員政党政治団体、国会職員などに利用されている。

経営統合までの経緯


大和銀行

都市銀行中北海道拓殖銀行に次いで二番目に規模の小さい都市銀行で、金融激戦地帯である大阪以外に基盤を持たず、もともとは金融財閥であった野村系企業との接点も少ないという経営基盤が脆弱な都市銀行だった。このため、バブル期前後から住友銀行などとの合併が取り沙汰されたが、1995年に同行ニューヨーク支店において、米国債の取引による総額1100億円の巨額損失が発生し、さらに当時の大蔵省への損失報告を行っていながら、米法に反して米当局への報告を怠り、当局から巨額の罰金処置と事実上の米国からの撤退を強いられた(「大和銀行ニューヨーク支店巨額損失事件」)。国際金融市場の中心であるニューヨークからの追放は、国際金融市場へのアクセスを失うことを意味し、かつて都銀第三位の海外拠点を有していた大和銀行は、大和プルダニア銀行(現在のりそなプルダニア銀行)を除く、全国際業務から撤退した。当時純利益の3割を稼いでいた米国市場を失ったのに加え、バブル崩壊後の経済環境は悪化の一途をたどり、「リスクを張って金利を稼ぐ」与信姿勢も災いし、膨大な不良債権を生み出した。大和銀行は個人や中小企業を主要な取引顧客とし、親密な地方銀行をグループ内に取り込む「スーパーリージョナルバンク」への転換を図ることになる。

あさひ銀行

バブル期の拡大戦略による多額の不良債権を抱えていた。また、合併行の弊害から郊外型の営業基盤を重視し、首都圏の地方銀行との合併を模索する旧埼玉銀行系と、他の上位・中位都銀との合併を模索する旧協和銀行系の経営対立が深刻化し、経営悪化に拍車をかけていた。

2001年5月末に海外拠点を東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)へ譲渡する事を合意し、同年12月に全ての海外拠点から撤退した。
なお、経営構想から実現には至らなかったものとして、次のケースが有った。

東海銀・三和銀、横浜銀との提携
1999年夏に東海銀行との2行統合を発表。時期を前後して経営統合による三井住友銀行みずほフィナンシャルグループの発足発表に対抗する為か、2000年3月には東海銀に加えて三和銀行との3行で、2001年4月に金融持株会社を設立し経営統合する方針(「三和東海あさひ銀行」構想と言われた)を発表したが、 欧米のリージョナルバンク(地域銀行)を模範とする地域密着型の戦略を重視するあさひ銀と、統合によって自己資本を充実させ、国際業務や大企業融資を重視するマネーセンターバンク戦略を重視する三和銀の新銀行戦略との隔たりは大きく、2000年夏にあさひ銀は統合構想から離脱し、残る2行でUFJホールディングスを設立する事となる。
この統合構想にあわせて、東海・三和とあさひの3行相互でATM他行利用手数料を無料とし、振込手数料も自行宛と同額するサービスが有ったが、2001年8月19日を以て終了した。なお、東海銀行との統合が発表されたのと同じ時期、当時のさくら銀行の店舗数箇所があさひ銀行に売却されている。

「三和東海あさひ銀行」構想破談後の2000年秋には横浜銀行と業務提携を行い、同様のATM・振込手数料優遇の提携サービスや共通仕様の中小企業向けローン商品などを両行で開発し、実際に提供するなどしたが、あさひ銀と大和銀の経営統合に伴い、(あさひ銀から見れば)かつて経営統合を目論んでいた浜銀との提携関係が崩れた為、先の提携サービスも2002年8月末で終了となった。

2001年9月の状況
2001年8月以降は経営悪化がマーケット(株式市場)にも出るようになり、特に同行が中間配当見送りとする(風説の流布)が出ると株価は乱高下を出すようになり、同行は流布元やマスコミに抗議した。次いで9月始めに朝日新聞など全国紙が「あさひ銀・大和銀と経営統合」と報道した(この時点では正式発表せず)。

特に顕著であるのが同月9日放送の「サンデープロジェクト」で、ゲストで出演した舛添要一田原総一朗(司会)の対話で

(舛添)「あさひ銀行見て下さいよ。 なんで大和と一緒になるったら、もうこのまま行ったら3月潰れますよ。あの銀行。 極端に言ったら」
(田原)「ちょっと待って下さい。大和銀行とあさひ銀行と言ったら、言っちゃ悪いけどね、 両方とも良くない銀行。'''よくない銀行が集まってよくなるの?」
(舛添)「その銀行の話は置いといて、中間配当中間配当。中間配当が出来ないんでしょ。だから3月決算できませんよ。それ位深刻な状況になっているんだから、あのもうね、緊急事態、危篤。患者は危篤。一喜一憂して、酸素吸入でも何でもしないといけませんよ。だから私も劇薬でもなんでも使えと言ってるんで」
と痛烈にあさひ銀行を批判した。
これを受けてあさひ銀は特に太字部分に対して猛烈に抗議し、謝罪を要求。謝罪せずの場合は法的手段を掛けるとプレスリリースで9月10日に公開した。 結果、翌週16日放送の冒頭で舛添は欠席し、伝言で謝罪。田原は出演した上で謝罪するも「間違ったこと言ったかな・・・」と付け加えた。

同月11日にはアメリカ同時多発テロが発生。撤退の方針だったニューヨーク支店が世界貿易センタービルノースタワーに入居していたが、幸い犠牲者は出なかった。

なお、同月20日に中間配当見送り・期末へ一本化を正式発表。翌21日に大和銀の「スーパーリージョナルバンク」戦略に参加する形で大和銀グループとの経営統合を正式発表する事となり、この2001年9月は激動の時期だったと言えよう。

これらを発端に、(取り付け騒ぎは起きなかったものの)あさひ銀行の経営不振が表沙汰になった。2001年10月以降、店頭ポスターや埼玉県内発行の新聞を中心に、頭取による経営についての全面広告が顔写真付きで掲載されたが、2003年のりそな銀行国有化まで、経営不振絡みの雑誌記事の掲載が断続的に続くこととなる。

りそなグループの誕生と国有化


2001年12月、大和銀行は同行の親密地方銀行である近畿大阪銀行奈良銀行と共に、株式移転により金融持株会社大和銀ホールディングスを設立し、各行はその傘下に入った。同時に、大和銀行が兼営する信託部門のうち、法人向けの年金信託業務を新設の大和銀信託銀行に分割した。続いて、2002年3月には、あさひ銀行が株式交換により大和銀ホールディングスの傘下となった。2003年3月には、あさひ銀行の埼玉県内の営業拠点と資産を新設の埼玉りそな銀行に譲渡し、残ったあさひ銀行は大和銀行と合併する形でりそな銀行が誕生した。

みずほ銀行みずほコーポレート銀行に続き、りそな銀行と埼玉りそな銀行は、世界的に見ても例の少ない合併分割による経営統合を行った。これは、主に近畿圏を営業基盤とする大和銀行に、規模的に二倍近いあさひ銀行が吸収されることにより、埼玉県内において圧倒的な規模を誇るあさひ銀行の収益基盤が縮小することによる、地域経済への影響を考慮したものであると言われる。同時に、合併分割によって、合併差益による自己資本の増強効果があり、悪化する経営を一時的に救う効果があった。しかし、このような複雑な経営統合方法は、後述するシステム問題を含めスケールメリットを阻害する要因となり、現在もなお経営形態の見直しが議論されている。

しかし、発足直後の2003年4月22日、同行の監査を担当する監査法人のうち、合併前の決算を審査するため、新日本監査法人と共同監査を行っていた朝日監査法人(現在のあずさ監査法人)が、繰延税金資産の取扱をめぐり同行の共同監査を辞退し、決算監査が大幅に遅延する異常事態となった。残った新日本監査法人は、5月に入り繰延税金資産組み入れの前提となる、将来の収益性を疑問視し、りそな銀行の主張する繰延税金資産5年分の否定して、3年分の組み入れしか認めない方針を明らかにした。このため、同行の自己資本比率は、国内基準である4%を大幅に下回る2%台に転落する可能性が出たため、5月17日に至り、政府に対し預金保険法第102条第1項第1号に基づく資本注入(第1号処置)を申請した。同日緊急召集された政府・日本銀行による金融危機対応会議において、同行の申請を認め資本注入並びに同行に対する早期是正措置・業務改善命令が発動された。

政府による、総額1兆9660億円の公的資金注入(正確には預金保険機構による株式取得)は、従来の優先株による無議決権資本注入に加え、額の巨額さや経営再建への影響力を勘案された結果、普通株での資本注入が行われた為に、りそな銀行は事実上国有化された。

りそな国有化が与えた影響


りそな国有化は、本来預金保険法が想定していない金融機関側の要請によって資本注入を行ったために、従来の公的資金注入とは異なり、予防的公的資金注入と呼ばれる。予防的公的資金注入は、金融機関が過小資本に陥り、経営破綻を回避するために行うもので、当時の預金保険法は金融機関による申請や、その適用要件に関して明確な基準が存在しなかった。そのため、申請当時には適用に関して一部から違法性が指摘され、また金融機関が自主的に公的資金の注入を、予防的かつ自主的に申請できる必要性が認識されたために、後に預金保険法改正の要因となった。また、監査法人による決算の否認は、株主や預金者を保護する監査法人の重要性を再認識させ、その後の足利銀行の破綻に見られるように、外部監査制度の責任強化につながり、さらにはエンロン事件以降重要視されるようになった内部統制システムの充実にも影響を与えたと言え、日本版SOX法である新会社法制定に与えた影響は無視できない。

また当時、企業の業績不安と不良債権処理の遅れから、日本企業の株価は下落を続けていたが、りそな銀行に対して政府が取った機動的な資本注入は、金融機関の不良債権の抜本的処理に向けた小泉政権の強力な意思であると評価され、その後株価は上昇に転じた。

経営体制に関しては、多額の公的資金を注入した経緯から、内部からの経営陣に加え、JR東日本出身の細谷英二会長をはじめとして、外部企業から招聘した経営陣による新経営体制が確立された。これは、伝統的に外部から経営陣を招くことのなかった金融機関にとっては画期的な出来事であり、大企業の経営再建におけるモデルケースとして期待されている。また、経営制度では、委員会設置等会社への移行が図られた。

オンラインシステムの統合に関する経緯


大和銀行は、1994年IBM製メインフレームで稼動する勘定系システム“ニュートン”(NEWTON)に続き、1996年には情報系システム“ダーウィン”(DARWIN)を稼動させ第三次オンラインシステムへの移行を終了した。しかし、ニューヨーク支店事件を契機とした国際業務からの撤退と急速な経営状態の悪化によって、経費節減を目的に、自社の保有する勘定系/情報系システムをIBMとの折半出資である「ディーアンドアイ情報システム」(D&I)に移管し、都市銀行としては初めてオンラインシステムを外部にアウトソーシングする戦略を取った。

その後、大和銀行を中核に地域銀行をグループ化する過程において、近畿大阪銀行など傘下銀行にNEWTON/DARWINを水平展開し、グループ間のシステム投資を軽減するシステム戦略が採用され、奈良銀行を皮切りに、近畿大阪銀行への導入が図られることになった。あさひ銀行との経営統合後には、旧あさひ銀行が開発した総合オンラインシステム“キャップ”(CAP。勘定系・情報系共にIBM製メインフレームで稼動)を破棄し、新たに誕生するりそな銀行/埼玉りそな銀行にもNEWTON/DARWINを採用することが決定された。さらに、りそな銀行/埼玉りそな銀行が誕生した2003年3月には、次期NEWTON/DARWINの完成が間に合わないため、CAPをりそな銀行向けと埼玉りそな銀行向けに二分割(勘定分割)した上で、CAPを現行NEWTON/DARWINとリレーシステムで仮統合した後に、次期NEWTON/DARWINに順次移行するという複雑なシステム統合が計画された。

しかし、2003年の実質的な国有化後、細谷英二会長を中心とする新経営陣は、規模も営業内容も異なる全傘下銀行にNEWTON/DARWINを水平展開するシステム戦略を、主にコスト的な問題から疑問視し、また技術的にも勘定系/情報系システムが不可分な設計であるNEWTON/DARWINは、24時間稼動対応、ハブ・アンド・スポーク型システム(旧来の勘定系中心のシステム構成ではなく、勘定系や情報系の機能をオブジェクト化して切り出し、ハブと呼ばれるデータ統合システムによって接続された多数のサーバに分割する方式)への対応が困難であることを理由に、傘下銀行の次期NEWTON/DARWINへの移行計画を破棄し、りそな銀行と埼玉りそな銀行については、破棄が予定されていた旧あさひ銀行のCAPへの統合を決定した。これに伴い、りそなホールディングスが保有するD&I株式の大半をアイネスに譲渡し、IBMとのアウトソーシング契約を解消した。一方、アウトソーシング先として新たにNTTデータが選定され、CAPを運用するあさひ銀ソフトウェア(現NTTデータソフィア)の株式の95%をNTTデータに譲渡した。

次期NEWTON/DARWIN計画の破棄と、破棄予定だったCAPシステムの復活は、実質国有化以前のりそなグループ内部での旧大和系と旧あさひ系の経営内紛が影響しているとする向きもある。しかし、もともと旧あさひ銀行に比べ規模が半分ほどの旧大和銀行で開発されたNEWTON/DARWINは、拡張性や処理能力に限界があり、また都市銀行と地方銀行の業務を単一のシステム基盤に統合する次期NEWTON/DARWIN計画は、当初から困難を極めていた。また、例え次期NEWTON/DARWINが完成したとしても、次期システムへの投資予定額は預金比での地方銀行の平均的なシステム開発費すらも大きく上回り、合併によるスケールメリットの追求が困難であったと予想される。CAPが旧埼玉銀行と旧協和銀行との合併後に構築された比較的新しいシステムであり、特に情報系システムの開発では当時都市銀行では先進的なシステムを開発していた三菱銀行との共同開発であったことも、CAPへの統合は現実的な解であったと言えるだろう。

CAPをベースとした新統合システムへの移行は、2005年5月から店舗別に5回(旧あさひ銀のシステムの変更を含めると合計6回)に分けて行われ、同年9月12日に全ての店舗においてシステム統合が完了した。りそな銀行と埼玉りそな銀行以外のシステム戦略に関しては、未確定な点が多い。すでにNEWTON/DARWINへの移行が進められていた奈良銀行は、りそな銀行へ吸収合併されたために、従来のシステムは破棄される。また、CAPへの移行が終了したりそな銀行においても、信託系システムは依然として並行稼動しているNEWTON/DARWINの周辺システムを利用しており、りそな信託銀行を含めてCAPへの最終的な信託系システムの移行・統合に関しては白紙状態である。また、傘下の近畿大阪銀行の次期システム開発に関しても将来的な計画は未定である。

ATM等サービスの状況


合併からシステム統合までの間、店舗に貼られていた旧所属銀行を示すシールの色、またはシステム統合前に発行された各預金通帳表紙の右上に表示されている記号の色により、通称赤りそな(旧あさひ、)・青りそな(旧大和、)と呼ばれていた。しかし、2005年5月6日からは旧あさひ店のが消え、旧大和支店もシステム統合後はが消された(みずほ銀行はシステム完全統合までは旧富士銀行のシステム統合済みの支店に旧DKBのが付いていた)。なお、システム統合が終了して間もないため、現在のところ、2つの支店が同一の建物に同居する店舗内店舗(ブランチインブランチ)という営業形態をとる店舗もあるが、2006年度に入って4月17日付でブランチインブランチを実施している4店舗の消滅が確定し、今後もさらなる統合が予定されている。

ただし、2005年5月6日以前に旧あさひ店で発行されたキャッシュカードは金融機関コード支店コードが、旧あさひ銀行時代の店番・支店名変更前のものが明細に表示されるため、金融機関コード・支店コードが統合後のものになっている、旧銀行の識別マークのないカードに無償で交換に応じる。旧大和店については、エンボスが旧あさひ店に合わせられたため、システム統合後に発行されたカードの金融機関コードのエンボスがなくなっている以外は特段の変更はない。

通帳については、旧あさひ店の通帳は識別マークが取れた程度で変わらず、旧大和店については、振込専用通帳・外貨預金通帳など、一部の通帳を除き、システム統合後も記帳欄が埋まるまではそのまま利用できる(旧・大和銀行時代の通帳もそのまま利用可能)が、繰越時に総合口座の場合、旧あさひ店同様、普通預金・貯蓄預金は「くらしの通帳」、定期・積立については「ゆとりの通帳」に分かれる形となる。システム統合前の通帳から繰越機で繰り越す場合、ゆとりの通帳が発行されるケースには対応できないため、窓口での繰越となる。旧大和のシステム移行後の旧奈良銀店の通帳については、合併直後から旧大和店同様の対応となる。

りそな銀行の現金自動預払機(ATM)では、埼玉りそな銀行との取引も、すべての時間帯で手数料が自行扱いとなる。また、近畿大阪銀行との取り引きも、一部の時間帯を除いて手数料が自行扱いとなる。

また、インターネットバンキング「りそなダイレクト」もあり、振込手数料は、りそな銀行・埼玉りそな銀行近畿大阪銀行あてが無料、他行あてが100円と安く設定されている。なお、旧:奈良銀行では未提供だったが、合併時にサービスを開始された。

法人向けインターネットバンキングは、旧大和銀行系店舗では都市銀行で最もサービス開始が遅れた。同系銀行の奈良銀行がインターネットバンキング自体未提供であったことが影響している。

一般的な総合口座のほかに、通帳が発行されない代わりに各種の優遇措置があるTIMO(ティモ)という総合口座もある。この場合は、りそな銀行・埼玉りそな銀行でのATM時間外利用手数料が無料となる。

りそな銀行は取引をすると、取引を行った店舗の店番号ではなく支店名が預金通帳に印字されるため(旧あさひ銀行系は漢字、旧大和銀行系は半角カナだったが、システム統合後は旧あさひの表記に統一)、旅行貯金のように「りそなめぐり」をするマニアが存在する。

今後の展望


国有化された後のりそな銀行は、これまでの銀行にはない新たなサービスの導入によって、メガバンクとは一線を画す「リテールに強い都銀」、「金融サービス業」を目指している。

2004年には、松井証券の口座開設の仲介サービス(現在は終了)をスタートしたり、大阪野村銀行という同じ源流をもつ野村證券との提携により、仲介や証券取引の仲介等を開始した。また、吉野家ディー・アンド・シーから出店ノウハウの提供を受ける提携も行った。

さらに、日本の銀行としては初めて、VISAカードのプリンシパル・メンバー権を取得した。今後、りそなカードからの発行ではない新しいタイプのクレジットカードとそれに関わるサービスが提供される可能性がある。

支店の業務にも変化が見られる。2004年11月9日には、窓口カウンターをなくしATMの横に行員を配置する、新しい営業形態を千住支店で始めた。

沿革


  • 1918年(大正7年)6月 - 野村徳七(二代目)を中心に大阪野村銀行を設立。
  • 1926年(大正15年)1月 - 大阪野村銀行の証券部を野村證券に分離。
  • 1927年(昭和2年)1月 - 大阪野村銀行は野村銀行と商号変更。
  • 1943年(昭和18年)7月 - 武州銀行、八十五銀行、忍商業銀行及び飯能銀行が合併し、埼玉銀行となる。この後、埼玉県に本店を置く普通銀行並びに貯蓄銀行を統合する。
  • 1944年(昭和19年)5月 - 埼玉銀行は安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほ銀行みずほコーポレート銀行)より、東京都下における大半の店舗を譲受。これにより、戦後急成長する東京都下に基盤を築く事となり、結果として都市銀行転換への足掛かりを得る。
  • 1944年(昭和19年)8月 - 野村銀行が野村信託を合併。
  • 1945年(昭和20年)5月 - 不動貯金銀行、安田貯蓄銀行、大阪貯蓄銀行、日本貯蓄銀行(名古屋)、東京貯蓄銀行、内国貯金銀行、日本相互貯蓄銀行、摂津貯蓄銀行及び第一相互貯蓄銀行の、三大都市圏に地盤を置く9貯蓄銀行が合併。国営の郵便貯金を除けば日本最大の貯蓄銀行である、日本貯蓄銀行が誕生する。
  • 1948年(昭和23年)7月 - 日本貯蓄銀行が協和銀行と商号変更の上、普通銀行に転換。都市銀行の一つとなる。
  • 1948年(昭和23年)10月 - 野村銀行が大和銀行と商号変更。
  • 1958年(昭和33年)2月 - インドネシアにプルダニア銀行(現りそなプルダニア銀行)設立
  • 1969年(昭和44年)12月 - 埼玉銀行が都市銀行となる。
  • 1988年(昭和63年)4月 - 大和銀行が、設立70周年に伴い、シンボルマーク(行章)を変更。
  • 1991年(平成3年)4月 - 協和銀行及び埼玉銀行が合併し、協和埼玉銀行となる。
  • 1992年(平成4年)9月 - 協和埼玉銀行があさひ銀行と商号変更。
  • 1996年(平成8年)3月6日 - あさひ信託銀行設立。
  • 2001年(平成13年)12月 - 大和銀行が、近畿大阪銀行及び奈良銀行との株式移転により、株式会社大和銀ホールディングス(現在の株式会社りそなホールディングス)を設立し、3行はその完全子会社となる。同時に大和銀行の信託業務を分割し、大和銀信託銀行を設立。
  • 2002年(平成14年)3月1日 - あさひ銀行株式交換により、株式会社大和銀ホールディングスの完全子会社となる。
  • 2002年(平成14年)6月18日 - あさひ信託銀行が株式会社大和銀ホールディングスの完全子会社となる。
  • 2002年(平成14年)10月1日 - 大和銀行を存続会社としてあさひ信託銀行を合併。同時に大和銀信託銀行がりそな信託銀行に改称。
  • 2003年(平成15年)3月1日 - 埼玉りそな銀行へあさひ銀行の埼玉県内の営業を譲渡。大和銀行を存続会社としてあさひ銀行を合併し、りそな銀行と商号変更。
  • 2003年(平成15年)7月1日 - 預金保険機構による株式の引受けにより、りそなホールディングスの完全子会社でなくなる。
  • 2003年(平成15年)8月7日 - りそなホールディングスと株式交換し、再び同社の完全子会社となる。
  • 2006年(平成18年)1月1日 - 奈良銀行を吸収合併(合併後の営業開始日は1月4日

母体行

大阪野村銀行・大和銀行
元来両替商で、実際は兼業の株式仲買業で成功した野村商店(現在のコスモ証券)を営業していた野村徳七(二代目)は、念願の商業銀行設立に動く。

こうして誕生した大阪野村銀行は、証券金融の活性化を主眼とし、担保付社債信託業の兼営と公社債専門の証券部門の設置を行って、次第に証券銀行(投資銀行)としての色彩を強めて行く。

やがて、証券部門が急成長し野村證券として分離すると、大阪野村銀行は野村銀行と名を改め、野村財閥の中核として純然たる商業銀行への道を歩む事となる。

戦後の財閥解体後、「大阪銀行」と改称し地元金融機関として生きる道を選択したが、「大阪銀行」の名は先に住友銀行(現在の三井住友銀行)が名乗ってしまっていたため、次善策として「大和銀行」を名乗る事となる。(「大和」の由来は、財閥解体下における新体制での「大いなる和」と、野村財閥の商標である「山にト」(=やまと)を掛け合わせた物であり、また「大和」の「大」は「大阪」をも意味する。現在の野村證券野村グループ)の社章はこの「山にト」をモチーフにしたものである。当然ながら大和証券とは全く関係がない。)

旧大蔵省が推し進めた信託分離化も頑なに拒み、都市銀行の中で唯一信託兼営を守り通した(しかしこれが為に大蔵省から睨まれ、「他都銀と同じスタートラインにない」として、新規出店で認可を出し渋るなど、不利な扱いを受けたとも言われている)。各都市銀行が企業グループを形成する動きの中で、大和銀行も第一銀行(現在のみずほ銀行みずほコーポレート銀行)の「第一原子力グループ」に参加したり、独自に「大輪会」を組織してその中核銀行に収まったりした。しかし、やがて次第に他の都市銀行とは志向を異にして、地元・大阪に密着した地域密着路線を推進するようになっていった。

大輪会参加企業' 野村證券みどり会に加盟しており、UFJ色強い)、富士火災海上保険大阪ガスコスモ証券敷島紡績タカラスタンダード日本触媒ヤンマーディーゼル吉本興業ロームローランドほか。

なお、通帳などに使用するキャラクターは原田治円谷プロダクションウルトラマンキッズ)、アランジアロンゾを起用していた

日本貯蓄銀行・協和銀行
日本貯蓄銀行は戦時体制の下、貯蓄増強といった国策を遂行するために並立する大手貯蓄銀行を強制的に統合し成立した銀行である。従って、母体行によって所在地・営業形態などは全く異なっていた。
  • 不動貯金銀行 1900年牧野元次郎により設立された貯蓄銀行。当初「不動貯金」(据置貯金。現在の定期預金だが期間が超長期のもの。)、出世貯金(抽選で利子を先払いする貯金)を考案したが失敗。その反省から「三年貯金」(のち「ニコニコ貯金」。現在の定期積金)を開始。外務員が預金者を勧誘し、また定期的に訪問して集金するスタイルが受け、業績が拡大。大黒信仰を基にした「ニコニコ主義」をモットーに日々の貯蓄の重要性を外務員を通じて預金者に説いた牧野の経営手腕により、合併直前には全国規模で最大手の貯蓄銀行となっていた。
  • 内国貯金銀行 三井銀行出身の前山久吉の手により開業した貯蓄銀行。前山は零細預金者の預金を取りまとめ株式市場等で巧みに運用して好成績を上げ、その結果内国貯金銀行は国内有数の機関投資家としてその名を高めていた。
  • 安田貯蓄銀行 安田財閥系の貯蓄銀行。当初金城貯蓄銀行として金沢市で開業。まもなく東京に移駐。安田銀行(現在のみずほ銀行みずほコーポレート銀行)と関係が深かったが、相互補完の関係はなくお互い独自の道を歩み、遂に合併しなかった。なお、二大貯銀の一方である不動貯金銀行が外務員中心の営業を行っていたのに対し、安田貯蓄銀行は店舗中心の営業を行っていた。
  • 東京貯蓄銀行 第一銀行(渋沢財閥)系の貯蓄銀行。第一銀行が三井財閥の手に戻りそうになった明治中期、第一銀行首脳陣が次善策として設立し、身代わり銀行として開業したもの。その後第一銀行は三井からの独立を守り、以降第一銀行と店舗・窓口を共用するいわゆる共同店舗を設置するなど、同行の補完的存在として機能していた。
  • 第一相互貯蓄銀行 第一生命保険社長の矢野恒太が興した貯蓄銀行。矢野が推奨する「相互主義」をモットーとし、銀行の収益はまず預金者への利息へ振り分けた。生命保険の発想や営業を貯蓄銀行に持ち込み、保険加入者が預金者となるケースも多く事実上第一生命の銀行部門を形成していた。
  • 日本貯蓄銀行 合併銀行と同名であるが、存続銀行ではなく全くの別銀行。名古屋市に本店を置き、東海地区一帯に店舗網を持ち、東海銀行(後のUFJ銀行→現在の三菱東京UFJ銀行)と補完関係にあった。
  • 大阪貯蓄銀行 山口財閥系の貯蓄銀行。大阪市に本店を置き、三和銀行(後のUFJ銀行→現在の三菱東京UFJ銀行)と補完関係にあった。
  • 摂津貯蓄銀行 岸本財閥系の貯蓄銀行。大阪市に本店を置いた。
  • 日本相互貯蓄銀行 第一相互貯蓄銀行の成功を見て、日本生命保険の関係者が興した貯蓄銀行。大阪市に本店を置き、近畿地区に店舗網があった。

この他、横浜市に本店を置く都南貯蓄銀行が統合に参加する予定であったが、結局横浜興信銀行(現在の横浜銀行)と合併する事で不参加となった。

1948年、戦後高まったインフレーションが強まり、公社債などに資金運用が限られた貯蓄銀行は軒並み逆ざや状態となり、遂に民間の貯蓄銀行は経営が成り立たなくなってしまった。日本貯蓄銀行も普通銀行に転換して協和銀行と改称。市中金融に進出して経営改善を図った。

以降、協和銀行は全国各地に点在していた店舗網を再編。地方店舗を整理する一方、首都圏の住宅地などに集中して店舗を開設。百合の花をトレードマークとし、リテールバンクに特化した経営を続けた。

1981年より、マスコットキャラクターにディック・ブルーナミッフィー(うさこちゃん)を起用。一般に「ミッフィーの銀行」として知られ、顧客獲得の決め手となった。なお、埼玉銀行との合併後のあさひ銀行でも引き続きミッフィーが使用された。

埼玉銀行
埼玉銀行の項を参照

奈良銀行
奈良銀行の項を参照

RESONARTカード


2004年1月より、新たなキャッシュカードのデザインとして、RESONART(りそなーと)が登場した。言葉の由来はたんにりそな銀行のRESONAとARTを複合した言葉である。地域密着銀行として生き残りを掛けたりそなが、発祥地近畿地方の若者を初めとするリスナーに支持の高いFM局、FM802との提携し始まった。絵柄となるのは、FM802が実施しているアートプロジェクト「digmeout」(ディグ・ミー・アウト)に参加しているアーティスト達が、りそな銀行のキャッシュカード向けに描いたオリジナルデザインである。2004年3月末にひびきが丘物語のキャッシュカードが廃止され、デザインキャッシュカードはRESONARTのみになった。

当初は通常の有通帳口座、近畿地方の旧大和銀行支店でのみの採用であったが、現在は無通帳口座「TIMO」や旧あさひ店でも取り扱っている。口座の新規開設か、現在開設の口座のキャッシュカードを交換してもらうことで入手可能である(旧大和、あさひ銀行キャッシュカードからの交換は無料。りそな銀行キャッシュカードからの場合は有料)。また、りそなカードでも採用されている。

デザインが年数回更新され、古いデザインのカードは新たに入手できない。また、当初は枚数限定だった。この企画は女性には人気が高く、新規顧客獲得に成功した。

近畿地方ではこの他にもREENALと銘打って、アートプロジェクトを推進している。

ATMベンダ


旧大和店・旧奈良店ではほとんどがオムロンとなっている。旧あさひ店では主流は富士通だが、沖電気工業のものも存在し、一部の機能が制限される場合がある。

通帳繰越機は、旧あさひ店はATM同様富士通で、旧大和店・奈良銀店はATM同様オムロンで分かれている。

その他


口座作成

かつてのあさひ銀行時代に、振り込め詐欺の指定先口座にあさひ銀行の口座が使われるケースが多かったことから、都市銀行の中でもっとも口座作成が難しいといわれている。

特に域外の住所をもつ顧客(実態としては支店所在地に居住しているが、住民票の住所が実家などであるケースなど)が口座開設するケースは、全国の銀行の中でもっとも至難であると云われている。

特に、札幌・札幌中央支店、仙台支店では相当厳密であり、地元地銀を含め、他の銀行は出来ない取引(たとえば、金銭信託や定期預金の中でりそなダイレクトによる満期Fでのレートアップサービスの適用を受けるなどが挙げられる)をしたい旨を伝え、それを納得させる手段を考慮しない限りは口座作成は不可能といわれている。

みずほ銀行三菱東京UFJ銀行のようにインターネット支店を開設した上で、TIMOを店舗所在地以外でも開設できるようになればある程度は柔らかくなると云われているが、検討材料にはなっているもののそのような方向に至るかは未定。

貯蓄預金

都市銀行で初めて、貯蓄預金の新規口座開設を取りやめた(埼玉りそな銀行も同時に2004年4月1日付け。2006年4月17日からは三井住友銀行も新規開設を停止した)。システム統合後(旧あさひ店は2005年5月6日以降発行分)に発行されている「くらしの通帳」にも欄があるが、新規開設者には何の意味もなさない欄であり、改善が望まれると云われている。

国際キャッシュカード

こちらも、都市銀行で唯一発行していない。
あさひ銀行時代はVISAトラベルマネーを発行していたが、シティコープ側の都合で廃止を余儀なくされ、現在はできなくなっている。
顧客のニーズもそれなりにあるといわれ、新サービスの期待もされているといわれる。

旧経営陣のその後


関連項目


外部リンク


都市銀行 | 大阪府の金融機関

 

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