株式会社りそな銀行(りそなぎんこう、Resona Bank, Limited)は、りそなホールディングス傘下である、りそなグループの中核を担う都市銀行である。かつての大和銀行とあさひ銀行との合併により誕生した。存続会社は大和銀行(清算会社はあさひ銀行)。
本店は大阪府大阪市中央区にある大阪営業部(旧大和銀行本店)。旧大和銀行の東京営業部は大手町営業部(東京営業部店舗内)、旧あさひ銀行本店営業部は東京営業部へ、さいたま営業部は埼玉りそな銀行さいたま営業部(本店)へ、大阪営業部は大阪中央営業部(大阪営業部店舗内)へとそれぞれ移行された。
なお、埼玉県内の旧あさひ銀行の店舗は、埼玉りそな銀行として分離している(浦和支店を除く)。
2006年1月1日に奈良銀行を吸収合併し、同日より旧奈良銀行本店は、りそな銀行新奈良営業部に衣替えした。
旧大和銀行の流れを受け、大阪府と大阪市の指定金融機関である(大阪市は三井住友銀行・三菱東京UFJ銀行・みずほ銀行との輪番制)。
また、旧大和銀行時代から国会の議員会館内に支店(衆議院支店・参議院支店 ※同支店の開設に当たっては、当時の三井銀行と三菱銀行が激しく競合し収拾がつかなくなり、結局、両成敗の形で、当時都銀下位行であった大和銀行に認められたとの説がある)を持つ唯一の銀行であり、国会議員や政党・政治団体、国会職員などに利用されている。
2001年5月末に海外拠点を東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)へ譲渡する事を合意し、同年12月に全ての海外拠点から撤退した。
なお、経営構想から実現には至らなかったものとして、次のケースが有った。
「三和東海あさひ銀行」構想破談後の2000年秋には横浜銀行と業務提携を行い、同様のATM・振込手数料優遇の提携サービスや共通仕様の中小企業向けローン商品などを両行で開発し、実際に提供するなどしたが、あさひ銀と大和銀の経営統合に伴い、(あさひ銀から見れば)かつて経営統合を目論んでいた浜銀との提携関係が崩れた為、先の提携サービスも2002年8月末で終了となった。
特に顕著であるのが同月9日放送の「サンデープロジェクト」で、ゲストで出演した舛添要一と田原総一朗(司会)の対話で
同月11日にはアメリカ同時多発テロが発生。撤退の方針だったニューヨーク支店が世界貿易センタービルノースタワーに入居していたが、幸い犠牲者は出なかった。
なお、同月20日に中間配当見送り・期末へ一本化を正式発表。翌21日に大和銀の「スーパーリージョナルバンク」戦略に参加する形で大和銀グループとの経営統合を正式発表する事となり、この2001年9月は激動の時期だったと言えよう。
これらを発端に、(取り付け騒ぎは起きなかったものの)あさひ銀行の経営不振が表沙汰になった。2001年10月以降、店頭ポスターや埼玉県内発行の新聞を中心に、頭取による経営についての全面広告が顔写真付きで掲載されたが、2003年のりそな銀行国有化まで、経営不振絡みの雑誌記事の掲載が断続的に続くこととなる。
みずほ銀行とみずほコーポレート銀行に続き、りそな銀行と埼玉りそな銀行は、世界的に見ても例の少ない合併分割による経営統合を行った。これは、主に近畿圏を営業基盤とする大和銀行に、規模的に二倍近いあさひ銀行が吸収されることにより、埼玉県内において圧倒的な規模を誇るあさひ銀行の収益基盤が縮小することによる、地域経済への影響を考慮したものであると言われる。同時に、合併分割によって、合併差益による自己資本の増強効果があり、悪化する経営を一時的に救う効果があった。しかし、このような複雑な経営統合方法は、後述するシステム問題を含めスケールメリットを阻害する要因となり、現在もなお経営形態の見直しが議論されている。
しかし、発足直後の2003年4月22日、同行の監査を担当する監査法人のうち、合併前の決算を審査するため、新日本監査法人と共同監査を行っていた朝日監査法人(現在のあずさ監査法人)が、繰延税金資産の取扱をめぐり同行の共同監査を辞退し、決算監査が大幅に遅延する異常事態となった。残った新日本監査法人は、5月に入り繰延税金資産組み入れの前提となる、将来の収益性を疑問視し、りそな銀行の主張する繰延税金資産5年分の否定して、3年分の組み入れしか認めない方針を明らかにした。このため、同行の自己資本比率は、国内基準である4%を大幅に下回る2%台に転落する可能性が出たため、5月17日に至り、政府に対し預金保険法第102条第1項第1号に基づく資本注入(第1号処置)を申請した。同日緊急召集された政府・日本銀行による金融危機対応会議において、同行の申請を認め資本注入並びに同行に対する早期是正措置・業務改善命令が発動された。
政府による、総額1兆9660億円の公的資金注入(正確には預金保険機構による株式取得)は、従来の優先株による無議決権資本注入に加え、額の巨額さや経営再建への影響力を勘案された結果、普通株での資本注入が行われた為に、りそな銀行は事実上国有化された。
また当時、企業の業績不安と不良債権処理の遅れから、日本企業の株価は下落を続けていたが、りそな銀行に対して政府が取った機動的な資本注入は、金融機関の不良債権の抜本的処理に向けた小泉政権の強力な意思であると評価され、その後株価は上昇に転じた。
経営体制に関しては、多額の公的資金を注入した経緯から、内部からの経営陣に加え、JR東日本出身の細谷英二会長をはじめとして、外部企業から招聘した経営陣による新経営体制が確立された。これは、伝統的に外部から経営陣を招くことのなかった金融機関にとっては画期的な出来事であり、大企業の経営再建におけるモデルケースとして期待されている。また、経営制度では、委員会設置等会社への移行が図られた。
その後、大和銀行を中核に地域銀行をグループ化する過程において、近畿大阪銀行など傘下銀行にNEWTON/DARWINを水平展開し、グループ間のシステム投資を軽減するシステム戦略が採用され、奈良銀行を皮切りに、近畿大阪銀行への導入が図られることになった。あさひ銀行との経営統合後には、旧あさひ銀行が開発した総合オンラインシステム“キャップ”(CAP。勘定系・情報系共にIBM製メインフレームで稼動)を破棄し、新たに誕生するりそな銀行/埼玉りそな銀行にもNEWTON/DARWINを採用することが決定された。さらに、りそな銀行/埼玉りそな銀行が誕生した2003年3月には、次期NEWTON/DARWINの完成が間に合わないため、CAPをりそな銀行向けと埼玉りそな銀行向けに二分割(勘定分割)した上で、CAPを現行NEWTON/DARWINとリレーシステムで仮統合した後に、次期NEWTON/DARWINに順次移行するという複雑なシステム統合が計画された。
しかし、2003年の実質的な国有化後、細谷英二会長を中心とする新経営陣は、規模も営業内容も異なる全傘下銀行にNEWTON/DARWINを水平展開するシステム戦略を、主にコスト的な問題から疑問視し、また技術的にも勘定系/情報系システムが不可分な設計であるNEWTON/DARWINは、24時間稼動対応、ハブ・アンド・スポーク型システム(旧来の勘定系中心のシステム構成ではなく、勘定系や情報系の機能をオブジェクト化して切り出し、ハブと呼ばれるデータ統合システムによって接続された多数のサーバに分割する方式)への対応が困難であることを理由に、傘下銀行の次期NEWTON/DARWINへの移行計画を破棄し、りそな銀行と埼玉りそな銀行については、破棄が予定されていた旧あさひ銀行のCAPへの統合を決定した。これに伴い、りそなホールディングスが保有するD&I株式の大半をアイネスに譲渡し、IBMとのアウトソーシング契約を解消した。一方、アウトソーシング先として新たにNTTデータが選定され、CAPを運用するあさひ銀ソフトウェア(現NTTデータソフィア)の株式の95%をNTTデータに譲渡した。
次期NEWTON/DARWIN計画の破棄と、破棄予定だったCAPシステムの復活は、実質国有化以前のりそなグループ内部での旧大和系と旧あさひ系の経営内紛が影響しているとする向きもある。しかし、もともと旧あさひ銀行に比べ規模が半分ほどの旧大和銀行で開発されたNEWTON/DARWINは、拡張性や処理能力に限界があり、また都市銀行と地方銀行の業務を単一のシステム基盤に統合する次期NEWTON/DARWIN計画は、当初から困難を極めていた。また、例え次期NEWTON/DARWINが完成したとしても、次期システムへの投資予定額は預金比での地方銀行の平均的なシステム開発費すらも大きく上回り、合併によるスケールメリットの追求が困難であったと予想される。CAPが旧埼玉銀行と旧協和銀行との合併後に構築された比較的新しいシステムであり、特に情報系システムの開発では当時都市銀行では先進的なシステムを開発していた三菱銀行との共同開発であったことも、CAPへの統合は現実的な解であったと言えるだろう。
CAPをベースとした新統合システムへの移行は、2005年5月から店舗別に5回(旧あさひ銀のシステムの変更を含めると合計6回)に分けて行われ、同年9月12日に全ての店舗においてシステム統合が完了した。りそな銀行と埼玉りそな銀行以外のシステム戦略に関しては、未確定な点が多い。すでにNEWTON/DARWINへの移行が進められていた奈良銀行は、りそな銀行へ吸収合併されたために、従来のシステムは破棄される。また、CAPへの移行が終了したりそな銀行においても、信託系システムは依然として並行稼動しているNEWTON/DARWINの周辺システムを利用しており、りそな信託銀行を含めてCAPへの最終的な信託系システムの移行・統合に関しては白紙状態である。また、傘下の近畿大阪銀行の次期システム開発に関しても将来的な計画は未定である。
ただし、2005年5月6日以前に旧あさひ店で発行されたキャッシュカードは金融機関コード・支店コードが、旧あさひ銀行時代の店番・支店名変更前のものが明細に表示されるため、金融機関コード・支店コードが統合後のものになっている、旧銀行の識別マークのないカードに無償で交換に応じる。旧大和店については、エンボスが旧あさひ店に合わせられたため、システム統合後に発行されたカードの金融機関コードのエンボスがなくなっている以外は特段の変更はない。
通帳については、旧あさひ店の通帳は識別マークが取れた程度で変わらず、旧大和店については、振込専用通帳・外貨預金通帳など、一部の通帳を除き、システム統合後も記帳欄が埋まるまではそのまま利用できる(旧・大和銀行時代の通帳もそのまま利用可能)が、繰越時に総合口座の場合、旧あさひ店同様、普通預金・貯蓄預金は「くらしの通帳」、定期・積立については「ゆとりの通帳」に分かれる形となる。システム統合前の通帳から繰越機で繰り越す場合、ゆとりの通帳が発行されるケースには対応できないため、窓口での繰越となる。旧大和のシステム移行後の旧奈良銀店の通帳については、合併直後から旧大和店同様の対応となる。
りそな銀行の現金自動預払機(ATM)では、埼玉りそな銀行との取引も、すべての時間帯で手数料が自行扱いとなる。また、近畿大阪銀行との取り引きも、一部の時間帯を除いて手数料が自行扱いとなる。
また、インターネットバンキング「りそなダイレクト」もあり、振込手数料は、りそな銀行・埼玉りそな銀行・近畿大阪銀行あてが無料、他行あてが100円と安く設定されている。なお、旧:奈良銀行では未提供だったが、合併時にサービスを開始された。
法人向けインターネットバンキングは、旧大和銀行系店舗では都市銀行で最もサービス開始が遅れた。同系銀行の奈良銀行がインターネットバンキング自体未提供であったことが影響している。
一般的な総合口座のほかに、通帳が発行されない代わりに各種の優遇措置があるTIMO(ティモ)という総合口座もある。この場合は、りそな銀行・埼玉りそな銀行でのATM時間外利用手数料が無料となる。
りそな銀行は取引をすると、取引を行った店舗の店番号ではなく支店名が預金通帳に印字されるため(旧あさひ銀行系は漢字、旧大和銀行系は半角カナだったが、システム統合後は旧あさひの表記に統一)、旅行貯金のように「りそなめぐり」をするマニアが存在する。
2004年には、松井証券の口座開設の仲介サービス(現在は終了)をスタートしたり、大阪野村銀行という同じ源流をもつ野村證券との提携により、仲介や証券取引の仲介等を開始した。また、吉野家ディー・アンド・シーから出店ノウハウの提供を受ける提携も行った。
さらに、日本の銀行としては初めて、VISAカードのプリンシパル・メンバー権を取得した。今後、りそなカードからの発行ではない新しいタイプのクレジットカードとそれに関わるサービスが提供される可能性がある。
支店の業務にも変化が見られる。2004年11月9日には、窓口カウンターをなくしATMの横に行員を配置する、新しい営業形態を千住支店で始めた。
こうして誕生した大阪野村銀行は、証券金融の活性化を主眼とし、担保付社債信託業の兼営と公社債専門の証券部門の設置を行って、次第に証券銀行(投資銀行)としての色彩を強めて行く。
やがて、証券部門が急成長し野村證券として分離すると、大阪野村銀行は野村銀行と名を改め、野村財閥の中核として純然たる商業銀行への道を歩む事となる。
戦後の財閥解体後、「大阪銀行」と改称し地元金融機関として生きる道を選択したが、「大阪銀行」の名は先に住友銀行(現在の三井住友銀行)が名乗ってしまっていたため、次善策として「大和銀行」を名乗る事となる。(「大和」の由来は、財閥解体下における新体制での「大いなる和」と、野村財閥の商標である「山にト」(=やまと)を掛け合わせた物であり、また「大和」の「大」は「大阪」をも意味する。現在の野村證券(野村グループ)の社章はこの「山にト」をモチーフにしたものである。当然ながら大和証券とは全く関係がない。)
旧大蔵省が推し進めた信託分離化も頑なに拒み、都市銀行の中で唯一信託兼営を守り通した(しかしこれが為に大蔵省から睨まれ、「他都銀と同じスタートラインにない」として、新規出店で認可を出し渋るなど、不利な扱いを受けたとも言われている)。各都市銀行が企業グループを形成する動きの中で、大和銀行も第一銀行(現在のみずほ銀行、みずほコーポレート銀行)の「第一原子力グループ」に参加したり、独自に「大輪会」を組織してその中核銀行に収まったりした。しかし、やがて次第に他の都市銀行とは志向を異にして、地元・大阪に密着した地域密着路線を推進するようになっていった。
大輪会参加企業' 野村證券(みどり会に加盟しており、UFJ色強い)、富士火災海上保険、大阪ガス、コスモ証券、敷島紡績、タカラスタンダード、日本触媒、ヤンマーディーゼル、吉本興業、ローム、ローランドほか。
なお、通帳などに使用するキャラクターは原田治、円谷プロダクション(ウルトラマンキッズ)、アランジアロンゾを起用していた
この他、横浜市に本店を置く都南貯蓄銀行が統合に参加する予定であったが、結局横浜興信銀行(現在の横浜銀行)と合併する事で不参加となった。
1948年、戦後高まったインフレーションが強まり、公社債などに資金運用が限られた貯蓄銀行は軒並み逆ざや状態となり、遂に民間の貯蓄銀行は経営が成り立たなくなってしまった。日本貯蓄銀行も普通銀行に転換して協和銀行と改称。市中金融に進出して経営改善を図った。
以降、協和銀行は全国各地に点在していた店舗網を再編。地方店舗を整理する一方、首都圏の住宅地などに集中して店舗を開設。百合の花をトレードマークとし、リテールバンクに特化した経営を続けた。
1981年より、マスコットキャラクターにディック・ブルーナのミッフィー(うさこちゃん)を起用。一般に「ミッフィーの銀行」として知られ、顧客獲得の決め手となった。なお、埼玉銀行との合併後のあさひ銀行でも引き続きミッフィーが使用された。
当初は通常の有通帳口座、近畿地方の旧大和銀行支店でのみの採用であったが、現在は無通帳口座「TIMO」や旧あさひ店でも取り扱っている。口座の新規開設か、現在開設の口座のキャッシュカードを交換してもらうことで入手可能である(旧大和、あさひ銀行キャッシュカードからの交換は無料。りそな銀行キャッシュカードからの場合は有料)。また、りそなカードでも採用されている。
デザインが年数回更新され、古いデザインのカードは新たに入手できない。また、当初は枚数限定だった。この企画は女性には人気が高く、新規顧客獲得に成功した。
近畿地方ではこの他にもREENALと銘打って、アートプロジェクトを推進している。
通帳繰越機は、旧あさひ店はATM同様富士通で、旧大和店・奈良銀店はATM同様オムロンで分かれている。
特に域外の住所をもつ顧客(実態としては支店所在地に居住しているが、住民票の住所が実家などであるケースなど)が口座開設するケースは、全国の銀行の中でもっとも至難であると云われている。
特に、札幌・札幌中央支店、仙台支店では相当厳密であり、地元地銀を含め、他の銀行は出来ない取引(たとえば、金銭信託や定期預金の中でりそなダイレクトによる満期Fでのレートアップサービスの適用を受けるなどが挙げられる)をしたい旨を伝え、それを納得させる手段を考慮しない限りは口座作成は不可能といわれている。
みずほ銀行や三菱東京UFJ銀行のようにインターネット支店を開設した上で、TIMOを店舗所在地以外でも開設できるようになればある程度は柔らかくなると云われているが、検討材料にはなっているもののそのような方向に至るかは未定。