縁起 (えんぎ、pratiitya-samutpaada (sanskrit)、paTicca-samuppaada (pali))
縁起の原語 pratiitya-samutpaada の原意は、「因縁生起」の略と考えられ、「他との関係が縁となって生起すること」の意味で、関係の中の生起の意味である。この縁起という思想こそは、仏教の根本思想を示し、仏教教理の土台である。釈迦の証悟(さとり)の内容は、この縁起の理に他ならない。
一般に多く見られる用例としては、「きざし」「前兆」の意味に理解され、縁起を担ぐ、縁起が良い、縁起が悪いなどと言われる。このような意味から、縁起直し、縁起物などという風俗や習慣がわれる。
また、この縁起を故事来歴の意味に用いて、神社仏閣の沿革や、そこに現れる功徳利益などの伝説を指す場合もある。
経典には、釈尊自身が「私の悟った縁起の法は、甚深微妙にして一般の人々の知り難く悟り難いものである」と言っている。また、この甚深なる法は
縁起の意味は、関係の中での生起ということで、経典には、これを
この縁起は、具体的に人間の生存自体について十二支縁起として説かれた。縁起支については九支、六支、十支などと数は不定である。
縁起説として、苦の生存の姿を明らかにするものとして、業感縁起、頼耶縁起、如来蔵縁起、法界縁起、六大縁起などが、それぞれの教学の中心として説かれる。このように縁起こそ仏教の基盤であるといえる。
すべてのものが独立自存性を本来もたないままに、個々のものは縁起だから存在性をもちうる。無我無自性と否定されるものが、そのまま存在性をもちうるのは縁起こそ現実である。このように仏教は教えるのである。
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