伊勢平氏は、天慶の乱・承平の乱に功のあった平貞盛の子、平維衡よりはじまる平氏一族の一つ。
十世紀末から十一世紀にかけて、同族平致頼との軍事抗争に勝ち抜き、軍事貴族としての地位を固める。 だが、当初は河内源氏ほどの勢力を築き得ず、白河上皇の院政期前半まではせいぜいが六位程度であり、当時の貴族としては最下層であった。
平維衡の三代後に登場する、伊勢平氏の庶流の平正盛は伊賀国の所領を白河院に献上、北面の武士に加えられる。 その後、1107年に出雲で反朝廷的行動の見られた源義親の追討使として因幡国の国守に任ぜられる。翌年、義親を討伐したという触れ込みで、義親の首級と称するものを都へ持ち帰った。
その子、平忠盛は鳥羽上皇の時に内昇殿を許され、殿上人となり、刑部卿にまで累進した。 正盛は備前・伊勢などの国守を歴任し、忠盛は播磨・伊勢の国守となる。これが後の伊勢平氏の豊かな財政の基礎となった。
平忠盛の死後、平清盛が継ぎ、保元の乱・平治の乱を制し、従一位・太政大臣にまで昇進して天下人となり、「平家(へいけ)」一門の栄華を築き上げる。
『平家物語』によれば、一門の公卿は16名、殿上人は30余名、諸国の受領・衛府・諸司は60余名。当時の日本の半国に当たる、三〇余国を知行し、「この一門にあらざらむ者はみな人非人なるべし」と豪語するほどの栄華を極めた(ただし、この表現には誇張が含まれており、同時期に公卿に列した人数は最大でも12名であった)。
〈伊勢平氏〉 維衡 ┣━━━━━━━━━┓ 正済 正度 ┣━━━┓ ┏━━┫ 貞弘 正家 季衡 正衡 ┃ ┃ ┃ 正弘 資盛 正盛 ┃ ┃ ┣━━━┓ 家弘 敦盛 忠盛 忠正 ┣━━┓ ┗━━┓ ┣━━━┳━━━┳━━━┳━━━┓ 光弘 頼弘 有盛 清盛 家盛 経盛 教盛 頼盛 ┏━━━━━┳━━╋━━━━━┳━━┳━━┳━━┓ 重盛 基盛 宗盛 知盛 維俊 知度 清房 ┣━━┓ ┃ ┣━━┓ ┣━━┓ 維盛 資盛 行盛 清宗 能宗 知章 知忠