中学校(ちゅうがっこう)は、日本の学校制度のなかで、前期中等教育を行う学校の1つである。
小学校を卒業した者、または盲学校・聾学校・養護学校の小学部を修了した者が入学し、修業年限(卒業までに教育を受ける期間)は、3年である。同等学校に中等教育学校の前期課程、盲学校の中学部、聾学校の中学部、養護学校の中学部がある。
小学校では、1人の学級担任の教員がほぼ全部の教科を担当できるが、中学校では、各教科ごとに専門の教員が存在する(教科担任制)。
多くの学校では中間考査(中間試験)と期末考査(期末試験)による定期考査(定期テスト)があり(定期考査を行わずに単元別の試験などを行う学校もある)、その成績と日常における学習の様子などが進学時の調査書(内申書)に反映される。中学校を卒業した人は、高等学校、中等教育学校の後期課程、高等専門学校、専修学校の高等課程(高等専修学校)など、後期中等教育を行う学校に入学する資格が与えられ、通例、これらの各学校による入学者選抜に合格することによって各学校から個別に入学が許可される。また、中学校を卒業しなかった人のために、文部科学省による中学校卒業程度認定試験(中検)などが存在する。
私立中学校、国立中学校の大部分と、一部の公立中学校(主に中高一貫校)には、入学試験をはじめとする入学者選抜がある。(中学受験)
現在の中学校制度は、1947年(昭和22年)4月に開始。開始時から3学年の生徒が揃ったが、1947年当初、該当学齢児童の就学が義務付けられたのは1年生のみで、2年生は当時就学義務のなかった小学校高等科1年生からの進級者、3年生は小学校高等科修了者のうちの希望者の編入で、該当学齢児童が義務就学するようになったのは、2年後の1949年である。
この意味で、現在の中学校制度に相当する学校は、旧制(戦前戦中)の学校制度には存在しなかったことになる。 1947年の時点では、校舎・敷地は小学校のものを用いていたことも多かったようである。また戦災を受けた都市の場合は当初は焼け跡で授業が行われ、その後戦災復興計画の中で校舎・敷地を得た例もある。また軍用地・軍需工場などの転用も考えられる。なお、現在の中学校設立にあたっては、校舎の建設などに地元の人たちの多大な協力を得た例も多い。
卒業生のほとんどが高等学校に進学するか、または同等の教育を受けるようになって久しい。
服装は、ほとんどの場合学校の制服と体操着があり、それを着用して登下校したり学校生活を送る。その制服には、あまりデザイン性などは求められない傾向にある。この意味で、同じ義務教育であっても一部の地域や学校でしか制服制度のない小学校や、(義務教育でないとはいえ)同じく中等教育機関に位置しているが制服制度を持たない学校も少なからず存在し、また存在する場合は制服にデザイン性を求める傾向の強い高等学校とは異なる。
学校教育法の第36条に、中学校における教育の目標が規定されている。
学校教育法施行規則に基づき、中学校の教育課程は、必修教科、選択教科、道徳、特別活動、総合的な学習の時間によって編成されている。私立学校では、道徳に代えて宗教を設けることもできる。
中学生は小学生と異なり、学問的に専門性が増すうえ、思考・解答においても論理的な能力が求められる。この事情から、教科書は常用体(…である、…した、…しよう)での表記が原則となる。加えて、表記文字も一般的な明朝体になる。
夜間学級については下記を参照。
しかし、学齢超過者(4月1日時点で15歳以上の人)については、このような一般的な教育を受けることが困難であることが多く、学齢期の生徒が在学する一般的な中学校に新入学・編入学しようとしても拒否される場合もある。(詳しくは、「学齢」「過年度生」を参照のこと。)
中学校における夜間の授業は、各学校において「夜間部」「夜間学級」などと名称が定められ、夜間中学校(やかんちゅうがっこう)などとも通称されることが多い。夜間の授業は、夕方5時30分ごろから授業が開始され、9時ごろに終わる、4時限の課程である。基本的には、学齢超過者だけが在籍する。なお、夜間の授業は、二部授業(時間帯別に生徒を分けた授業)として認可されているため、夜間に授業を行う中学校は、通例、昼間にも授業を行っている。
夜間の授業を受けている人には、日本国籍を有していない人や同和地区の出身者など、ほとんど文字の読み書きができない成年の生徒も多く、そういった学齢超過者は、日本の現在の受け入れ態勢のもとでは小学校に入学することが困難であるため、中学校における夜間の授業は、日本語教室、識字教室、小学校の代替としての役割も果たさざるを得ないといわれている。また、授業時間は、昼間の授業よりも少ないことが多く、授業は、「中学校学習指導要領」(文部科学省告示)を完全に模倣することが難しい。そのため、国語、数学のように、日常生活の基本となる教科が重視され、それ以外の教科や実技教科(保健体育など)に割り当てられる時間数は少ない。生まれて初めて鉛筆を持つ人から、中学校に途中まで在学した人までの幅広い生徒が在籍し、生徒間の学力の差が大きいため、習熟度別授業を行っていることが多い。また、制服はない場合が多い。夜間の授業を受ける場合は、一般的に年間を通して随時入学できる。
夜間の授業を受けるための入学資格を明文で定めた法令は存在しないものの、義務教育を修了していない人であり、かつ学齢を超過している人(満15歳に達した日以後に4月1日をむかえている人)であることが、実質的な夜間の授業を受ける要件とされる。すなわち、義務教育を修了した外国人が日本語を身につけることを目的として入学することや、形式的にでも卒業証書を授与された元不登校者が入学することや、学齢期の中学生が入学することは難しいといわれる(ただし、例外もあるようである。詳しくは、「再入学」を参照)。
2004年の時点で、夜間の授業を行う学校の数は35校、生徒数は約3000人であるが、夜間の授業に積極的な設置者(教育委員会、学校法人など)が、東京圏、大阪圏に集中しているため、やむなく、中学校の正規の授業として認可を受けていない「自主夜間中学」が日本全国の20校ほどの中学校と有志で運営されている。中学校における夜間の授業は、ほとんど知られていなかったが、1993年に上映されて話題となった山田洋次監督の映画『学校』で有名になった。
1947年の学制改革の直後、大阪市生野区で長期欠席生徒向けの夕方の補習授業「夕間学級」が開始された。また東京都の戦後初めての夜間学級は、1951年に足立区立第四中学校で開設されたものである。同校の伊藤泰治校長らは、足立区周辺に広がるスラム街のうち、学校に近い所を回って夜間学級を宣伝し、当初はわずかな人数しか集まらなかったものの、やがて300人程度の生徒を抱えるようになった。夜間学級の設置校のピークは1954年の87校であり、生徒数のピークは1955年の5208人である。大阪では1969年に最初の夜間学級が大阪市立天王寺中学校に開設された。
そのあと一時期は、「夜間の授業はあくまで臨時の措置であり、学校教育法そのものが想定しているものではない」「学齢超過者は学校教育ではなく社会教育で学ぶべきである」という趣旨で、教育行政において縮小・廃止の検討がされ、1968年には校数21校・生徒数416人に減少した。これに対し夜間中学卒業生の高野雅夫などの教育活動家が、廃止反対・設置要求の運動や、証言映画の上映をするなどの熱心な支援をしたため、夜間中学校は息を吹き返し、現在までも存続している。近年は、日本国籍を有していない生徒や、元不登校の生徒も増えてきている。第二次世界大戦降伏後しばらく、特に1955年から10年間ほどは、学齢期の生徒も多く通学していたが、学齢期のこどもの不正な労働の防止を目的として、現在では、学齢超過者のみに通学が制限されている。
日本では、第二次世界大戦降伏後、義務教育年限が従来の6年間から9年間に延長されたが、これに伴い昭和時代前期までに義務教育だけを修了した人は、新制度においては義務教育未修了となり新制高等学校に入学する資格がない。中学校通信教育は、そのいわば救済措置として設けられたものである。法的な根拠は、学校教育法の第105条であり、「中学校は、当分の間、尋常小学校卒業者及び国民学校初等科修了者に対して、通信による教育を行うことができる。」とされている。この規定に基づいて中学校通信教育規程(昭和22年文部省令第25号)が定められている。夜間の授業と違い、法律によって定められているのが特徴である。
通信教育を行なっていた中学校は、以前は80校ほどあったが、現在の行なっている学校は2校のみである。夜間の授業以上に一般的に知られておらず、学校教員でも知っていない場合が多い。なお、八洲学園(やしまがくえん)が、不登校生徒が主対象の、学齢期でも通学できる中学校通信教育の認可を求めているが、難航している。
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